『サイプレスについて』 武内靖彦
「理念」といふ言葉を聴くと、学生時代の頭デッカチな口角泡を飛ばした屁理屈がすぐに思い浮かぶのは不幸なことだ。その深い反省にたってかどうか、理念は持たずにやってきた、といふより理念持つような頭がなかった、といふほうが正しいか。理念はさておき、信念らしきモノは持たざるを得なかったけれど。しかし、集団、組織に必要なモノこそが理念だろう、言葉の縛りが統率、結束の要だろうし、理念に基づいて目標やら展望やら計画が練られたりするのがごく自然で当たり前な成り行きだろう。私のような行き当たりバッタリな、その場しのぎの、結果オーライな人間には息苦しい。「成るようにしか成りゃしない」といふ風な「諦め」とも「投げやり」ともとられかねない在り方に対して、理念のヒトは「こう在りたい」願望や、「こう在らねば成らぬ」使命や倫理に満ちている事だろう。サイプレスにそうした政治のマニフェストめいた謳い文句や幟旗のような理念が必要とは思えない。出発にあたり、精々いいとこ円陣組んで腕組んで[頑張らないゾー]と呟きの鬨の声でも上げ、その呟きが終わらない木霊のように、途切れない通奏底音のように流れていればOK。存外、適正な客観距離が生まれ、力み無い静かな結束がイイ仕事に結晶するやもしれぬ、とそんな相変わらずの甘い見通し。[頑張らないゾー]は何も怠惰や不真面目を奨励している訳ではない。個々人それぞれであるべきだと思う。
「病める舞姫」を読む會を、ここ何年かサイプレスで続けて来た。かとう当夜、日高明人それに私の3人がメンバー。生前の土方さんから「武内、あそこに、全部書いてあるから、」と云われた。それが歳とともにリアルになり、罠にかかったように、不勉強者が勉強せねば、と思った。そんな流れの中で今回のサイプレス再可動の機運が高まった。無論、土方さんの呪文もさることながら、「時間ナシ!」の私の焦りが大いにあった。
自宅新築が1998 年、自宅と云っても、ただ稽古場が欲しかっただけ。稽古場の残り滓が住居スペースといふ本末転倒も甚だしい。この稽古場での初めての外へ向けた舞台公演(公演とは云えず、当時は「秘演」と称した)が2006 年、稽古場を建ててから8年経っている。当初はこの稽古場で公演するなど考えてもみなかった。この周辺の家屋の密集を考えれば、とても無理との判断があった。70年代目黒アスベスト館での作品発表が周辺住民の騒音苦情で封印を余儀なくされた経緯を目の当たりにしていたような事も手伝って、二の足を踏んだ。ただ、ヤル方向で考え始めると周辺への配慮を第一に考えるといふ前提(この事はサイプレスでヤレル範囲が大幅に制限された)さえクリアーすればイイと、なるべく単純に考えるようにした。細かく気配りしてたらキリがない、とはいえ始めは怖々と息をひそめ、周囲の耳目にこれほど神経が尖るとはまるで思わなかった。サイプレスでの公開は2010 年まで続き、8本の作品を舞台に懸けた。今回の再可動はそれ以来、5年振りになる。これまでのサイプレスでの活動は私の舞台に限られての事だったが、今回はかとう、日高の参加も得て、限られた中であれ、否、限られているからこその視座の発信の場を醸成したいと思っている。そこで、先ずはホームページ(これについては太田久進氏の手を煩わせた)を、そして理念を、と相成った次第。
大事なコトは言葉にしない方がイイ、言葉にすると消えたり、薄まったりしてしまう。
『孤独を発見するために』 かとう当夜
目を内側に向けても、そこに胃や腸や骨や肉は見えない。目玉はひっくり返らないから。しかしまなざしは裏返せる。前を向いたまま、あるいは瞼を綴じて、内側に向けたまなざしで遠くを見つめるようにすれば、現像液に沈めた印画紙に浮かび上がるように現れてくるのは、通ったことのある道や昇ったことのある屋上、またそこから眺めた空や街並み、籠ったことのある物置その工具や段ボール箱や結束紐で縛られた古雑誌が埃に塗れた片隅の薄暗さ、訪ねたことのある部屋と脱ぎ捨てられた寝着の体温、ばかりでなく、見憶えの無いビルディングや誰もいない高速道路、国籍不明の並木道や小説の中に読んだことがあるような黄昏の街、等々まで、シャッフルしたスライドのように様々な景色が自分の中に畳まれてあることに襲われる筈だ。いつも周りに気を配っているわけではなく、ここにないものやことにだらしなく気をとられながら、からだはいつもここにある。思い出せない現在と見えないここで佇んだりしゃがんだり蹲ったりしている。からだがかつてあった場所が、細胞と細胞の隙間から浸透して、通り過ぎてからもからだの内の暗さの中に佇んでいる。佇んだ場所も過った場所も、からだの中に佇んでいるのか。その私がもういない場所にある空気が時空を超えて架空や未来まで呼吸させる。いやこれはここにある私の息だ。だがここはいったいどこなんだろう?春に同じ桜を眺めていても、私の角度から眺めた桜と誰彼の角度から眺めた桜の姿は違う。私から見えない花の裏はあなたの中に咲いている。ここがあるからここに居るのか、ここに居るからここがあるのか。ここで全く共有できない同じものを見ているからここが立体するのかもしれない。
中野は野方のスタジオ・サイプレス。生活第一の住宅地その入り組んだ一角に密かに佇むこの場所は、一人の舞踏家によって、さながら古代の王が自らの体躯の寸法を王国の基準としたように、踊りの夢を手作業で採寸して造営された場所です。王も臣民も奴隷も自分一人。で造られたその場所はさながら外気のさなかに置かれた一個の内臓のようで、様々な景色を宿した血や肉や骨が外から訪れる。演者もスタッフも観客も、からだを言葉を思考を行為をそしてまなざしをここに供給することによってここでないどこかが息づくような内外分泌=裏分泌となり、誰でもない誰かのからだが立ち上がる夢を見ます。いることといないことの生理を紡ぐ場を目指して、内にある外に、いずれ壊されるこのスタジオに、自分という他人とおいでください。
「わたしは出て行く。わたしの中へ」(武内靖彦伝聞による土方巽の言葉)
『 サイプレスさんへ』 日高明人
ある朝、眠いからだをゆさぶり起こし自転車に乗り信号が変わるのを待っている間、あれっと自分が誰でどこにいるのかよくわからなくなっていた。
いつも見ている看板や交差点は何か遠くて、ここに紛れ混んでいるような感じがした。親から与えられた自分の名前もこれから向かう職場の事もたまたまなんだよなーと軽薄になり埃みたいに自分の表面を覆っている程度で、その下には二重のようにしてからだが無名のままじっと息づいていたように思えた。そのからだがこれまで何を受け入れてきていて何を思っていたのかさっぱりわからない。からだは不思議だらけだけど、誰しもからだとともに生きていて晒しながら街中を平気で歩いている目の前の日常が、そう考えると恐ろしく思えてもくる。そして、それらがぶつかるとどうなるのだろう?
私ではなく、この目がものを見て、この耳が音を聞いて、この手が何か掴んで、その後は結局頭が決める価値で情報を拾いほとんど捨ててしまっているけれど、目や耳や手は全部覚えているから、記憶にない懐かしさがあるんだよな、と頭で考えている。そういうことに出会ってみたいし、この遠い、訳のわからないからだを丸のみにし、いや丸のみにされるのか、あー面白かったと一人で帰り道を帰るような場所にこのサイプレスがなればいいと思うが、だらしなく日常を過ごしてもいる。