空間恐怖6 表札

 生徒募集中! 忘れていた!このHPにあったのを見て思いだし笑いしてしまった。

 日本舞踊や華道の玄関に掛けられた立派な表札を見かける事は間々あるけれど、そのとき眼に入った表札は、表札からはほど遠い吊られっ放しの風鈴の短冊のような紙切れに時間もだいぶ経っているのだろう、褪せてしまった墨書きで微かに「お琴 教えます」とどうにか読めた。最近、何だかそんなモノばかりが眼に入る、一昨日は一昨日で「詩吟 教授」といふ紙切れが小雨のなか軒下に垂れ下がっていた。これに「浪曲」とか「三味線」でも一枚加わるとロケーションは「明治」だが、明治時代の話じゃない、昭和の44、5年頃、43年の「肉体の叛乱」を観てからといふもの何やら取留めもなく心乱れボーッとうなされ譫言のように「舞踏!舞踏!」と呟き、「網走番外地」観て高倉健になってしまった男が映画館をでてくる如く、眼は点、鼻ふくらませ、アタマの中は観念と抽象が交錯し、妙に現実離れした歩きっぷりが明けすけに世間から浮いている。感染してしまったのだ。
 時は昭和元禄! 二十歳そこそこの若造が熱病にうなされたように舞踏にうつつを抜かし浮かれてるのも無理ナイと云えなくもナイ、こういふ時に「時代だった」と謂うのかしらん。その反動か、舞踏で一山当てようと目論んでいた訳じゃないが、ものみな全て胡散臭くみえてくる時があった。殊に、たまに雑誌に載る写真とゴシップに塗れた文章から憶測するしかなかった土方さんの風貌と物言いとその周辺が振りまくスキャンダル(これがイケナイ、妄想が募る!)を嗅がされ、勝手に一人けしかけられ火照った浮き足のなかで目一杯の若造の現実主義の裁断は「舞踏」は際物、水物、流行り物、とどの詰まりは「徒花」などと前衛と風俗がハグしたような妙な塩梅に見えなくもない成り行きが眼前を掠め一抹の不安を覚えるものの、その不安がまたまた火に油を注ぐようなそそのかしとなるは手のつけようもない逆上せ上がり方、まったく情熱は鬱陶しい。そんな熱狂と錯乱の裂目から見るともなしに目にしたのが琴や詩吟の短冊、「舞踏 教えます」と爪に火をともすが如く食いつないでいる泣けてくるよな暗澹たる己が未来を予見したつもりだったのかもしれない。