影のこと

 九月十日、サイプレスで松下正己の舞踏観測會、観客4人。
蛍光灯の消灯、開始。客それぞれは指定通り懐中電灯を持っている。初めは踊り手松下君が口に銜えた小型電球のうっすらとした明かりが微かに本人の顔廻りを照らすだけだが、そのうち一人、二人と客が自分の懐中電灯で松下君を照らし始める。四個の光源。白壁に投影される四つの松下君、織りなす四つの影の交錯。客の目線は松下君本人から自分の手元明かりが映し出す「影」へと移されていく。光に照らされ見えているモノでなく、見えているモノの「影」。「あの見えているものは確かに馬や牛だが、あれは暗い穴そのものなのか。その穴の中に入って見えなくなってしまうものだろう。」といふ「病める舞姫」一章最後の一行がかすめ、「影」は背中合わせに貼り付いた「裏口」のコト? などヘンな合点をし、「肉体とは存在の影ダッ!」な~んって云ってたヒトの事も思い当たった。
 焼き切れるほど「影」へ焦点を絞ると松下君は消える。音も消える。「影」が吸い込んでしまったように見えてくる。客の手元の光源の事も「影」を媒介する松下君のカラダも忘れ、まるで白壁の奥に塞き止められていた「影の微粒子」が炙り出され、滲み出し壁面の「染み」となり「染み」が犇めき「ひとがた」を結晶し、その「ひとがた」の息づかいが「影」の濃淡を揺らめかせている、と云ったような幻影を誘った。そして「影」に誰それの「影」といふ必要も興味もなく、ただ「影」であるコト、と今更のようにそう思った。