再開、

 智チャンに忠告を受けた「更新されてホームページなの、更新されないホームページは見向きもされず、無視されて廃村に草ボーボー!」とは云っていないけれど、それに近い事は廻りからよく云われた。
 「早熟」とか「遅咲き」とか云う、それぞれ個々の時間の懸りを廻りが勝手に云ってるのだろうが、この中には早すぎて潰れてしまうヒトや、遅いだけで咲かないヒトを含んでいるのだろう。「咲く」といふコトが何を指しているのか解らない。さて、自分はどうなのか?
今回の「留守にでた虹」の近況のような案内文で大野一雄先生の「アルヘンチーナ頌」の時の先生の年齢71に自分もなって、この71歳といふ年齢をとても意識して迎えた旨の雑文を書いた。年齢だけでも先生にあやかりたいと浅ましく考えたワケじゃない。「嗚呼、アノ時先生71だったんだ」といふ風に思った時、背を押されるような想いがした、と書いた。端的に勇気づけられたといふコト。
私の「舞踏」といふマイブームも何合目に差し掛かっているのやら、毎回毎回「目前の頂き!」など叱咤激励か、けしかけてるのか、騙しすかして続けてきたか。「咲かないうちが花なのよっ!」とでもうそぶきそうな癖ばかりは抜けないものである。