纏まらず上手く書けずにもどかしいのだが、先だっての舞台で少し嬉しくなるようなコトがあった。その公演の案内状に書いた上星川の稽古場での大野先生の口癖だった稽古終わりの「今日は記念すべき日です!」に沿うなら少しは記念すべき日になったかもしれない。
衣装は公演のたび事に作られ、ソレきりの衣装もあれば着つづけられる衣装もある。結果、断捨離できずの幾つもの「パンドラの柳行李」が天袋に押し込められて唸ってるような仕儀となる。何気なしに、どうといふコトもなく、逃げ込むような致し方なさで着つづけられてきたヘンな連れ合いのような衣装が今回俄に浮上してきたといふ話。
この衣装、かれこれ40年にもわたり着つづけられ、先だっての公演「留守にでた虹」にも引っ張り出された。まさか、衣装が「またかヨッ!」と呟いたかどうかは定かでないが、この度この衣装、ミッションを帯びたような顔して暗転板付き、降り立っや見事にカラダを拉致し去ったのである。たかが衣装一枚に「降リ立っ!」はチト大仰であるが、これまでのこの衣装の迷走を思うと大仰でもない。見掛ばかりを押し付けられ表装ぼけしたお飾りの挙句、イヤイヤ「中」を埋めに懸かるものの、カラダの側に表装を「支える」粒子の謙虚さが欠片もないものだからカラダと衣装のもつれ合い40年!いつまでも馴染まない。かと云って裾さばきよろしく、見事な身捌きで着こなして見せるような衣装扱いに慣れたヒトもいるが、それがイイか? と云うとどうもそんなんじゃナイ。そういふヒトは何を着ても流暢に着こなし舌をまくが、何を着てもみな同じになる。「身ごなし」が出来上がってるとそうなるのかもしれない。
着る事は着られる事
作品が「作品」の体をなすまでの発端は他愛もない思い付きとかアイデアである。予測も憶測も覚束なく心もとなくヒトに話せるようなモノじゃない。だからヤッちゃうといふワケで始まっちゃう。当然、殊更の動機やら根拠などなく「ヤッてみなくちゃ分らない!」といふ理屈だか情熱? 衝動。その衝動が歳取り、色褪せた頃、衝動が「原因」に遭遇する。「結果」と貼り出された部屋に入ると「原因」が背中を向け座ってる。「待ちくたびれた!」と振り返った。
つまり、この衣装、作品までに40年を要したコトになる、ソリャ、待ちくたびれたに違いない。この衣装でなければイケナイ、この衣装の為の「約束の地」のような場? 座? 位置? 衣装が嗅ぎ分け、探り当てたピッタリ、余りにもぴったりの「透き間」、「ひとがた」をなぞる輪郭。この「透き間」へ滑落し続けていた時間が40年なのか、余りにもピッタリ過ぎて距離と時間が消滅していたのか。衣装といふ「抜け殻」に「カラッポ」が袖を通す。
空蝉に入らむと待てる空気哉 耕衣
服 舟(月)は盤のもとの字で、盤は儀礼の時に使う器であるから、盤の前で何らかの儀礼をおこなうこと「服」といふ。おそらくは降服の儀礼 にしたがうことをいうものであろう。降服の儀礼を終えて、服属(付き従うこと)の職務が与えられ、その職務をおこなうことを服事という。「したがうことにしたがう、おこなう、はたらく、もちいる」などの意味に用いる。服飾・服従・服役・服属・屈服・降服・服毒・着服・心服・敬服・征服‥‥‥。 常用字解 白川静