即興のコト

チラシができた。来年一月に横浜若葉町ウォーフで竹屋啓子さん、韓国の南貞鎬さんとの即興のダンスの會が持たれる事になった。コト改めて「即興ダンス」といふ断り書きがある。自身経験的に了解している「即興」とそれぞれ各自が「即興」をどう考えているのかはヤッてみなくちゃ分らない。分らないところが「胆」なのかもしれない。これまた経験的に云えば、「即興」と云うと、ヤッてみようか的な「試み」とか「実験」とかの色合いが濃い、観に行って面白かった記憶が余り無い。正直云って、一人でヤルなら「どうにか成る」或は「どうとでも成る」といふような乱暴な気分で舞台へ向かえるものの、これがアンサンブルで「即興」になると乱暴、野蛮が影を潜め、「反応」を繕うようなヘンな関係音痴の小心者の如き「振る舞い」と化する経験が報告されてる/猛省!自戒!録。
 廻りの状況、塩梅を観てる振りして自分を失うモノ、自分のコトしか考えないで自分を失うモノ、失う物もなく、ただ居るモノ。ものものしくも、物悲しい風景の展覧に何度立ち会った事か!観せるといふよりもヤル側の理屈を優先した丁/半 博打のドンヨリとした賭場の如き様相と云えなくもない。だから面白い!だから醍醐味!お客様! ヤケクそな気分でナケナシの蛮勇をふるい「どうにかなるさ、皆ベテランだし!大丈夫!」ところが、どうにもならずに、大丈夫でないのが舞台に奈落のある由縁、特にベテランといふのがロクなもんじゃない。取り留めなく、際限なく、あてどなく、暗澹と立ち尽くし収拾不能な茫漠たる荒野、暗黒に終わらない「冬」が舞い降りたよう。とココまでは悪夢。貧しくも浅き、私の「即興ワル苦労」の話。そうだろっ、じゃなきゃ、声掛けて頂いた竹屋さんに失礼テエーもんだろ! だから、だからこそ最終線を引いて、背水の陣を敷いて、用意万端整えて「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」でんがナー。昔、確か日大全共闘のドキュメント映画のタイトルで「死者よ来たりて我が退路を断て!」といふのがあったと記憶しますが、正にアレっ!

大野先生曰く「イヤー、土方さん達と即興して成立したためしが有りませんでしたネー」と伺った。然もありなん、と合点した記憶がある。