二千十一年十月八日の舞台の記憶 かとうとうや

(以下に掲げる文章は、文中にある通り『舞踏よりの召喚ー20世紀、牡丹。』から半年ほど後に書いたものですが、全三回公演を全て観ている上に直後にほぼ下書きにあたるくらいのメモを書いておいた為、かなり詳細な印象記なっており、拙稿『既知との遭遇者ー武内靖彦の踊りについてー』を補うものがあると思い今回載せることにしました。なのでこの文章は、『既知との遭遇者』の方を読んだ後に読んでくださいね。この原稿は書いたはいいけれど載せる筈だった媒体の企画そのものがポシャってしまったのでそのままお蔵入りになってしまっていたものでした。今回載せるにあたり、誤字脱字の修正とペンネームを現在のものに変えた以外当時書いたまま一切手を加えていません。なにぶん八年以上前のものなので今読み返してみてうーん恥ずかしいと思う部分も多々ありますが、同時に、おや、こいつ俺と観方が似てるな、と思う部分も多くて面白かったです。まあ本人ですからね。ちなみに第四景について一切書かれていないのは、その景がぼくにはどうにも不満だったからですが、この頃はまだ今より遠慮があったんですね。それについて一切触れない、という消極的な形で意思表示をしているようです。あと、『既知との遭遇者』にも書いた通り、二日目第三景が圧倒的に素晴らしかった為、まあそれでいいや、ってところもありました。なので本文中にあるように、三景の余韻の為に「続く第四景及びエンディングは、夢の中に置き去りにされたようにしてただ眺めていた。」というのも別に嘘ではありません。ちなみにこの印象記録は、タイトルにある通り、あくまで全三日公演中二日目の公演についてのものです。後段に全公演についてのまとめはありますが。前置きが長くなりましたね。では以下、どうぞ。)

☆二千十一年十月八日の舞台の記憶

                              かとうとうや

 下手寄りにカッターで切り取ったような四角い巨きな穴が空いているほかに何も置かれていない舞台、どのようないきさつがあったのか、その中央辺りで、ボロのセーターを着た男が、ひしゃげたように蹲ったまま動かない束の間、が続く。男の下でまだ紡がれながらも広がれずに縺れてゆく細い糸のような息が時間に絡みついているようだ。十月八日の舞台第三景後半。景の最初から、息を詰めたり目玉を動かしたりしながら舞台を見つめている観客一人一人その身の内の挙動こそが音響であるといわんばかりの無音が続いていて、無音であることも忘れていた。
 三景の始めは下手側の穴の角から半身出した後ろ姿から始まったのだた。背中に『塩』の看板を背負っていた。それに先立つ二景は終始その穴に半身浸かった状態で展開したのだった。二景も始まりは無音で後ろ姿から、こちらは裸身だったが、始まったように記憶している。
 さらに遡って一景、客席脇の入場口から、提灯を持って登場したコートの男は、舞台下客席との間を上手から下手へ向かって移動したのだが、それは結果としてそうなったのだ。
 冒頭、おもむろに暗転した場内に『インターナショナル』にヒトラーの演説が被さって鳴り響く。わざとそうしたのであろうか、二十世紀を象徴するのにあまりにも紋切り型なその選曲は大仰ながら平板な印象で(まるでアニメのようだと思った)、装置らしきものが何も無い舞台の箱を埋めた暗さが持ちかけた重量をはなから解体して空疎にしてしまうようだ。頭上のその奥行きの無い喧騒を避けて見えない廂の下を渡るように、提灯を提げた男は行くのだが、その移動は、佇むことをずり動かしているように見える。帽子のつばに隠されているからだけではなく、男の視線が伺えない。くっきりと浮かび上がる提灯の明かりは何かを集めながら、辺りの物理的な暗さよりも、男のコートの内に噤まれている測れない空間を伺わせる。そこに、少なくとも『インターナショナル』やヒトラーの演説に象徴されるような見出し付きの歴史には包括され得ない、誰かの記憶にもなれない切れ端のような無宿の時間が色々の方から刺さって来ているようだ。それで、佇むことが崩れるように移動しているのだが、同時に、移動することの方も突き崩されて止まってしまうのではないか、という危惧も常にはらんでいる。
 たとえば初日の同場面では、ダンサーはある地点にいる時既に次に進む先を取りながら歩を進めており、予め引かれているその場面の進行に沿って動いているようだったので、結果として見えたのは上手から下手へ伸びた提灯の線だったのだけれど、この日は八方から刺さってくる時間とそこでの現実時間との間隙に崩れかかるように移動していたので、伸ばすような線では追えず、常に中断を孕んでいる。それゆえに、見ているこちらの眼差しが二の足を踏むのか、男のからだがブレているような、同じ二つのからだが折り重なっているようにも見える。そうして実際に真ん中辺りに来たところでついに立ち止まり、こちらの方へからだを向けた時に、男のコートの内に噤まれた測れないものの内に焦点が見失われ眼差しの足元が覚束なくなって、その身定め難い昏さにこちらの方が測られ無関心に胸の内を探られているような動揺を覚えた。
 その間ずっと音は大音響で鳴っていた筈だし、事実としてはそのことを覚えてもいるのだけれど、記憶を再現する中でその男の身の内に注目しようとすると音は見えないものに吸い取られたように消えてしまう。
 ぽかんとあいた劇場の空間とその中を移動する盛り上がった穴のような男のからだとの間で、明るさ(しらじらしさ)と暗さ(不透明さ)、軽さと重さ、広がりと一点、喧噪と噤まれているもの、動くことと止まること、見ることと見られること、といったことどもが反転しあるいは喰い合いながらあって、崩れていく過程だけに存在出来るものが運ばれているようでもあった。
 続く第二景(ダンサー自身によって『光の柱』と名付けられていた、と後に聞かされた。第一景『20世紀の夜』第三景は『新しい砂漠』)、天井から注がれる柱状の光に白く濡れた、骨を包んだ滑らかな裸身は溶けるはずのものが形を保っているような輪郭で、穴に半身浸かった様子は露天風呂にでも入っているような長閑さも漂わせつつも、暖かいものも柔らかい水もそこには無いので、連想してしまった長閑さが行き場を無くして滞留するようでもあり、その中に置かれた背中のシリアスさ加減がどこか滑稽なようでもあり、しかしそのように把握したのを超えてなお長く置かれているので、垂直に落ちる光に対して時間は湯気のように平面にずっと広がっていくようで、別に脅かされてもいないのにむらむらと不安がもたげてもくる。その中で不意に肩甲骨辺りが不随意にピクピク動き出すのにいったいこの裸の中で何が行われているのだろう、と思ったりするのだが、一方でそれはやはり私たちの知っている(つもりになっている)人の体なのだ、と一瞬ホッとする安心材料ともなって、後の話題にはなりやすい。しかしその後で、体の高さを変えぬままゆっくりと回転してこちら向きになった時に、現れたのは前面であるのだけれど背中のようでもある、つまりその回転の過程で刻々に展開する角度に端折られているところがないので、それまでの長い時間に背中を「背中」としてではなく岩肌など人の注目出来得ないところでも進行し続けていた変化によって形成されたものと対比されるような物の形として見るようになっていた眼差しを変更出来ぬままそこに現れた顔を、それは確かに人の顔だしそれはある表情をもっているのだけれど、その表情を読むより表面に時間から浮き上がってきた形として見てしまう、ということがまた、何も隠されてはいないのに決着をつけられないこととして残っている。それはいわゆる「年寄りのいい顔」といったことでも全くなく、何か今だけの波に洗われ浸食されたような窪みとして照らし出されていた。
「であるが同時に、である。」としか言いようがないことがこの舞台には要所要所に漏れ出していて、第三景『新しい砂漠』において、劇場の床と天井は、確かに床と天井であるのだけれど、同時に地面と空だった。つまりそれは、作品の設定として予め「空ですよ、地面ですよ」と合意されたイリュージョンで舞台が塗られている、といったような気楽な意味ではないということだ。確かに私は男がそこから這い出して来た穴の脇に一個の意味の死体でも転がっている「かのように」見えたし、男の頭上に一羽のカラスでも翔んでいる「かのように」見えたが、それは始めから「そんなものはない」ものとして連想された。うまく言えないことを自分でも(違ってるよな)と思いながら口にするときの言葉みたいなもので、届かないながらそれでも何かを感知していることを指し示す為に、遅らされた場所に置かれた苦し紛れのイメージに過ぎなかった。
 そこが劇場で床と天井であることは完全にわかっているし、だが同時にそこに地面と空を感じ、その地面と空がいわゆる連想されたイメージではない、ということはどういうことなのか。冒頭より、頭上の空疎さと焦点化されたからだの密度との対比、天井から注ぐ光の強調する垂直軸、といった要素が空間を構造化し眼差しを抽象的にして何も無い舞台を地平として感じさせる布石が置かれていたことも確かにある。けれど、私は、ようするに第三景において男が「ひとり」であった、そのからだから分泌されたことなのではないか、と思えてならないのだ。
 冒頭よりずっと、舞台の下や穴の中で展開していたので、男の全身が舞台上に上がったのはこの第三景が初めてだ。隠れる場所の無いところに放り出された男の全身は何かから切り離されたもののように見えた。音楽も装置もストーリーも無い、説明出来ない時間が既に始まっている。
 そこで、男はずっと耐えているようにも見えた。感動的な程無意味な所作もあった。いったい何に耐えていたのか。ある場所からある場所に至る、そのあらゆる地点にいてしまうこと、息を持ったものであること、何かの為に、とか、何に向かって、とか、その「何か」が無いのに「向かっている」こと、それはつまり「ここ」へ向かっていたのかもしれないが、ともかく、全身がすっぽりと晒されていて、空間の中に頼るよすがが無い。説明されずにそこに在ることが振動して、「在ること」そのものが事態であるような不穏さの中に居る。
 男は当然のことながら客席の私たちよりも男のからだの近くにいる。男と男のからだとの間を息だけが往復している。その息だけが頼り無く繋いでゆく保証の無い時間がある。そこに感じていたものは言葉にすれば確かに一景や二景に現されていたものと響き合うところがあるが、それらではまだあったフレームすら外されてしまっていたように感じるのだ。巨きな穴が空いていたからだけではなく、落ちかけているもの、半ば落ちているものを見ていたような気がする。
 何も無い舞台上で、手を挙げる、這う、歩く、立ち止まる、振り返る、その一つ一つの挙動が地面から見返されているような、そこにあるからだがそのからだそのものの中に落ちかかっているような、どこでもないところに落ちかかっているような、大仰な表現であるけれど、息を続けることが処刑めいているような、そのようなからだを前に立たされると、武内氏は常々「ダンサーは観客のイメージの生け贄である」と言っているが、追い切れないからだを追うわれわれの方が余程浮遊するイメージであるように思われ、中空に彷徨わされる。
 実際、そこにいながら外から除く亡者のような視線で届かないここを見ていたようにも思い出される。男は舞台の上でひとりであった。
 だから、それは天井である、それは床である、それはそうであっても、それが合意として成り立たない。そこが合意の出発点にはならない。が、抽象的な空間ではなく、そこで息される空気がある、空気の中にあるからだの上に広がっているものは空で、その足が立っているところは地面として感じるしかなかったのだろう。
 ところで、そこで具体的にどのように男が動いたのか、右に行ったとか左に行ったとか、そのようなことを、見事な程私は覚えていない。ただ、景の最初から幾らか時間が経って、ひたすら現在を突き付けられながら、気がつくと、舞台の中央辺りに男はひしゃげたように蹲っていた。わずかな束の間が続く。初めて、何かが止まり掛けている。湯気が冷めて視界が晴れるように、すーっと重みを無くした空間の中で男のからだに荷物のような体重が沈む。自らの体重を布団のように被っているようにも見える。何かが終わるのか、という予感を縫うように息が縺れる。その刹那に、ほかでもない一点に、ピー、という単音が、空間に差し込まれた注射針から流れ出る薬剤のようにそこに注入され、空間の細胞に染み広がって行く。空間と通底した男の生理のようなものがカンフル剤を打たれたように賦活し、死人の体力のようなもので身を盛り上げて斜め後方へ四つん這いで進み出したからだは初めてそこで具体的な方向を持った。不意にピントがあってそこにある全てのものが具体的になり、そこは高円寺のとある劇場であることが示された。振動していた紐が止まるように輪郭が明確になる。振動していた幅と一本になった輪郭との間に外気が流れ込み、この劇場は確かにそれより外に広がる世界の内の一部分であり、このことが行われている今は時間の過程の中のある時であること、物事が過ぎていく、はかない世界なのだということが絞られる。時間が残されていないかのように、枝分かれ繁茂する音響の中で立ち上がった男の生身は寄り掛かるようにして舞台奥の大扉を押し、レールに沿ってそれがズルズルと動いた。
 震えていたことの余韻で全身が微弱な電気に包まれたようにボーッと痺れたまま、続く第四景及びエンディングは、夢の中に置き去りにされたようにしてただ眺めていた。

 『舞踏よりの召喚ー20世紀、牡丹。』全三日間を通覧して、三回共、作品としての全体の構成は同じだったが、そのことが、体格の違う三人に無理に同じ丈の服を着せているような違和感として感じられる程、各日の踊りの内容は違っていた。初日の舞台を観た時は、全体の構成が、各景「予め測られた公演時間の中に配分して並べられている」ように感じられたことや、舞踏家武内靖彦の従来のイメージに自ら合わせてしまっているように感じられたことに強い不満を覚えた。二日目はしかしその構成演出は同じでありながら、測れないものが測れる枠組みを、イメージ化されない振動がイメージを、食い破ってくるような異様さを持った舞台だった。
 たとえば、本公演が『四十周年記念』だったこと、「舞踏の現状」を憂いながら『舞踏よりの召喚』と銘打つこと、などにどれ程の決意や覚悟といったものがあったのか、ということは知らないし、興味もない。いつだってダンサーの思いというものは、安易な共感や理解を求めにゆくわけではない観客にとってはどうでもいい。逆にいえば、観る側の思いというのもまた、どうでもいい。
 実際、何かわからないが確かに何かであった舞台、というのは、観ると、引き込まれる、巻き込まれて、そこで様々なことを感じ、考えるものだが、その、私が感じたり考えたりすること、それとある意味で関係無く、それより向こうにその舞台があるから、何かであったのではないか、と思う。外側にあるのだ。感じたことすら遅れている。だから、素晴らしいとか良かったとか感動したとかいう言葉すら空々しくなってしまうそういう舞台は、観終わった後でも、どこか私はその舞台に辿り着けていない感がある。という意味では、その舞台は現実的には終わっていても、同時に、終わっていない、もしかするとまだ始まっていない、とも言えるかもしれない。とはいえ、その舞台を観てそれだけ感じたり考えたりするということは、やはり私の何かがそれに出会っている筈だ。それから遅れている私が、近づきたいと思っているのだろう。
 十月八日の舞台の体験は、私にとってはそのように言えるものだった。穴の底にあるものを覗き込むようにして想い返す中で、最も非現実的な照度と、いまだ何かたくらまれているような油断ならない蠢きを感じる。
 『舞踏よりの召喚』は作品としてよく出来たものではなかった。それは「破れ目」のようなものだ。第三景『新しい砂漠』で、武内靖彦はまずからだの置かれる「何も無い」「始まる直前」を、既に始まっており既に在る世界の中に興そうとしたのだ。武内自身の思惑を超えてそのようなところにダンサー武内靖彦のからだが置かれているのだとすれば、第三景は作品全体の中で破れ目であったし、ダンサーのからだは準備されたことの破れ目であったし、二日目は三日間の中の破れ目だったし、ともかく作品を取り巻く色々な「思惑」は破れていた。黙って感嘆するところと、喋れば不満の吹き出すところの両方ある、不慣れな舞台だった。
 公演から既に半年以上経って、想い出そうとすると観た時よりももっと見るみたいに前のめりにならざるをえない本番の記憶の周辺に、自然に思い出されるのは、開演前や終演後に劇場で知人と話したことやその表情、その時の空の感じや空気感などだ。前述した二日目第三景の最後でここの周りに広がった「外」の中にいた時のことで、その延長上に半年後の今の僕もいるし、四十年前の誰かもいる。
 四十年前の初舞台の時、観客は武内靖彦が何者であるか知らなかっただろうし、それが「舞踏」であるのかどうか、ということなど問題にしなかっただろう。四十年後の観客も本当は同じだ。