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サイプレスは年内に「話の泉」の再開、
武内靖彦 ソロ「衰微容 ー魂と塊ー」上演をめざします。

二千十一年十月八日の舞台の記憶 かとうとうや

(以下に掲げる文章は、文中にある通り『舞踏よりの召喚ー20世紀、牡丹。』から半年ほど後に書いたものですが、全三回公演を全て観ている上に直後にほぼ下書きにあたるくらいのメモを書いておいた為、かなり詳細な印象記なっており、拙稿『既知との遭遇者ー武内靖彦の踊りについてー』を補うものがあると思い今回載せることにしました。なのでこの文章は、『既知との遭遇者』の方を読んだ後に読んでくださいね。この原稿は書いたはいいけれど載せる筈だった媒体の企画そのものがポシャってしまったのでそのままお蔵入りになってしまっていたものでした。今回載せるにあたり、誤字脱字の修正とペンネームを現在のものに変えた以外当時書いたまま一切手を加えていません。なにぶん八年以上前のものなので今読み返してみてうーん恥ずかしいと思う部分も多々ありますが、同時に、おや、こいつ俺と観方が似てるな、と思う部分も多くて面白かったです。まあ本人ですからね。ちなみに第四景について一切書かれていないのは、その景がぼくにはどうにも不満だったからですが、この頃はまだ今より遠慮があったんですね。それについて一切触れない、という消極的な形で意思表示をしているようです。あと、『既知との遭遇者』にも書いた通り、二日目第三景が圧倒的に素晴らしかった為、まあそれでいいや、ってところもありました。なので本文中にあるように、三景の余韻の為に「続く第四景及びエンディングは、夢の中に置き去りにされたようにしてただ眺めていた。」というのも別に嘘ではありません。ちなみにこの印象記録は、タイトルにある通り、あくまで全三日公演中二日目の公演についてのものです。後段に全公演についてのまとめはありますが。前置きが長くなりましたね。では以下、どうぞ。)

☆二千十一年十月八日の舞台の記憶

                              かとうとうや

 下手寄りにカッターで切り取ったような四角い巨きな穴が空いているほかに何も置かれていない舞台、どのようないきさつがあったのか、その中央辺りで、ボロのセーターを着た男が、ひしゃげたように蹲ったまま動かない束の間、が続く。男の下でまだ紡がれながらも広がれずに縺れてゆく細い糸のような息が時間に絡みついているようだ。十月八日の舞台第三景後半。景の最初から、息を詰めたり目玉を動かしたりしながら舞台を見つめている観客一人一人その身の内の挙動こそが音響であるといわんばかりの無音が続いていて、無音であることも忘れていた。
 三景の始めは下手側の穴の角から半身出した後ろ姿から始まったのだた。背中に『塩』の看板を背負っていた。それに先立つ二景は終始その穴に半身浸かった状態で展開したのだった。二景も始まりは無音で後ろ姿から、こちらは裸身だったが、始まったように記憶している。
 さらに遡って一景、客席脇の入場口から、提灯を持って登場したコートの男は、舞台下客席との間を上手から下手へ向かって移動したのだが、それは結果としてそうなったのだ。
 冒頭、おもむろに暗転した場内に『インターナショナル』にヒトラーの演説が被さって鳴り響く。わざとそうしたのであろうか、二十世紀を象徴するのにあまりにも紋切り型なその選曲は大仰ながら平板な印象で(まるでアニメのようだと思った)、装置らしきものが何も無い舞台の箱を埋めた暗さが持ちかけた重量をはなから解体して空疎にしてしまうようだ。頭上のその奥行きの無い喧騒を避けて見えない廂の下を渡るように、提灯を提げた男は行くのだが、その移動は、佇むことをずり動かしているように見える。帽子のつばに隠されているからだけではなく、男の視線が伺えない。くっきりと浮かび上がる提灯の明かりは何かを集めながら、辺りの物理的な暗さよりも、男のコートの内に噤まれている測れない空間を伺わせる。そこに、少なくとも『インターナショナル』やヒトラーの演説に象徴されるような見出し付きの歴史には包括され得ない、誰かの記憶にもなれない切れ端のような無宿の時間が色々の方から刺さって来ているようだ。それで、佇むことが崩れるように移動しているのだが、同時に、移動することの方も突き崩されて止まってしまうのではないか、という危惧も常にはらんでいる。
 たとえば初日の同場面では、ダンサーはある地点にいる時既に次に進む先を取りながら歩を進めており、予め引かれているその場面の進行に沿って動いているようだったので、結果として見えたのは上手から下手へ伸びた提灯の線だったのだけれど、この日は八方から刺さってくる時間とそこでの現実時間との間隙に崩れかかるように移動していたので、伸ばすような線では追えず、常に中断を孕んでいる。それゆえに、見ているこちらの眼差しが二の足を踏むのか、男のからだがブレているような、同じ二つのからだが折り重なっているようにも見える。そうして実際に真ん中辺りに来たところでついに立ち止まり、こちらの方へからだを向けた時に、男のコートの内に噤まれた測れないものの内に焦点が見失われ眼差しの足元が覚束なくなって、その身定め難い昏さにこちらの方が測られ無関心に胸の内を探られているような動揺を覚えた。
 その間ずっと音は大音響で鳴っていた筈だし、事実としてはそのことを覚えてもいるのだけれど、記憶を再現する中でその男の身の内に注目しようとすると音は見えないものに吸い取られたように消えてしまう。
 ぽかんとあいた劇場の空間とその中を移動する盛り上がった穴のような男のからだとの間で、明るさ(しらじらしさ)と暗さ(不透明さ)、軽さと重さ、広がりと一点、喧噪と噤まれているもの、動くことと止まること、見ることと見られること、といったことどもが反転しあるいは喰い合いながらあって、崩れていく過程だけに存在出来るものが運ばれているようでもあった。
 続く第二景(ダンサー自身によって『光の柱』と名付けられていた、と後に聞かされた。第一景『20世紀の夜』第三景は『新しい砂漠』)、天井から注がれる柱状の光に白く濡れた、骨を包んだ滑らかな裸身は溶けるはずのものが形を保っているような輪郭で、穴に半身浸かった様子は露天風呂にでも入っているような長閑さも漂わせつつも、暖かいものも柔らかい水もそこには無いので、連想してしまった長閑さが行き場を無くして滞留するようでもあり、その中に置かれた背中のシリアスさ加減がどこか滑稽なようでもあり、しかしそのように把握したのを超えてなお長く置かれているので、垂直に落ちる光に対して時間は湯気のように平面にずっと広がっていくようで、別に脅かされてもいないのにむらむらと不安がもたげてもくる。その中で不意に肩甲骨辺りが不随意にピクピク動き出すのにいったいこの裸の中で何が行われているのだろう、と思ったりするのだが、一方でそれはやはり私たちの知っている(つもりになっている)人の体なのだ、と一瞬ホッとする安心材料ともなって、後の話題にはなりやすい。しかしその後で、体の高さを変えぬままゆっくりと回転してこちら向きになった時に、現れたのは前面であるのだけれど背中のようでもある、つまりその回転の過程で刻々に展開する角度に端折られているところがないので、それまでの長い時間に背中を「背中」としてではなく岩肌など人の注目出来得ないところでも進行し続けていた変化によって形成されたものと対比されるような物の形として見るようになっていた眼差しを変更出来ぬままそこに現れた顔を、それは確かに人の顔だしそれはある表情をもっているのだけれど、その表情を読むより表面に時間から浮き上がってきた形として見てしまう、ということがまた、何も隠されてはいないのに決着をつけられないこととして残っている。それはいわゆる「年寄りのいい顔」といったことでも全くなく、何か今だけの波に洗われ浸食されたような窪みとして照らし出されていた。
「であるが同時に、である。」としか言いようがないことがこの舞台には要所要所に漏れ出していて、第三景『新しい砂漠』において、劇場の床と天井は、確かに床と天井であるのだけれど、同時に地面と空だった。つまりそれは、作品の設定として予め「空ですよ、地面ですよ」と合意されたイリュージョンで舞台が塗られている、といったような気楽な意味ではないということだ。確かに私は男がそこから這い出して来た穴の脇に一個の意味の死体でも転がっている「かのように」見えたし、男の頭上に一羽のカラスでも翔んでいる「かのように」見えたが、それは始めから「そんなものはない」ものとして連想された。うまく言えないことを自分でも(違ってるよな)と思いながら口にするときの言葉みたいなもので、届かないながらそれでも何かを感知していることを指し示す為に、遅らされた場所に置かれた苦し紛れのイメージに過ぎなかった。
 そこが劇場で床と天井であることは完全にわかっているし、だが同時にそこに地面と空を感じ、その地面と空がいわゆる連想されたイメージではない、ということはどういうことなのか。冒頭より、頭上の空疎さと焦点化されたからだの密度との対比、天井から注ぐ光の強調する垂直軸、といった要素が空間を構造化し眼差しを抽象的にして何も無い舞台を地平として感じさせる布石が置かれていたことも確かにある。けれど、私は、ようするに第三景において男が「ひとり」であった、そのからだから分泌されたことなのではないか、と思えてならないのだ。
 冒頭よりずっと、舞台の下や穴の中で展開していたので、男の全身が舞台上に上がったのはこの第三景が初めてだ。隠れる場所の無いところに放り出された男の全身は何かから切り離されたもののように見えた。音楽も装置もストーリーも無い、説明出来ない時間が既に始まっている。
 そこで、男はずっと耐えているようにも見えた。感動的な程無意味な所作もあった。いったい何に耐えていたのか。ある場所からある場所に至る、そのあらゆる地点にいてしまうこと、息を持ったものであること、何かの為に、とか、何に向かって、とか、その「何か」が無いのに「向かっている」こと、それはつまり「ここ」へ向かっていたのかもしれないが、ともかく、全身がすっぽりと晒されていて、空間の中に頼るよすがが無い。説明されずにそこに在ることが振動して、「在ること」そのものが事態であるような不穏さの中に居る。
 男は当然のことながら客席の私たちよりも男のからだの近くにいる。男と男のからだとの間を息だけが往復している。その息だけが頼り無く繋いでゆく保証の無い時間がある。そこに感じていたものは言葉にすれば確かに一景や二景に現されていたものと響き合うところがあるが、それらではまだあったフレームすら外されてしまっていたように感じるのだ。巨きな穴が空いていたからだけではなく、落ちかけているもの、半ば落ちているものを見ていたような気がする。
 何も無い舞台上で、手を挙げる、這う、歩く、立ち止まる、振り返る、その一つ一つの挙動が地面から見返されているような、そこにあるからだがそのからだそのものの中に落ちかかっているような、どこでもないところに落ちかかっているような、大仰な表現であるけれど、息を続けることが処刑めいているような、そのようなからだを前に立たされると、武内氏は常々「ダンサーは観客のイメージの生け贄である」と言っているが、追い切れないからだを追うわれわれの方が余程浮遊するイメージであるように思われ、中空に彷徨わされる。
 実際、そこにいながら外から除く亡者のような視線で届かないここを見ていたようにも思い出される。男は舞台の上でひとりであった。
 だから、それは天井である、それは床である、それはそうであっても、それが合意として成り立たない。そこが合意の出発点にはならない。が、抽象的な空間ではなく、そこで息される空気がある、空気の中にあるからだの上に広がっているものは空で、その足が立っているところは地面として感じるしかなかったのだろう。
 ところで、そこで具体的にどのように男が動いたのか、右に行ったとか左に行ったとか、そのようなことを、見事な程私は覚えていない。ただ、景の最初から幾らか時間が経って、ひたすら現在を突き付けられながら、気がつくと、舞台の中央辺りに男はひしゃげたように蹲っていた。わずかな束の間が続く。初めて、何かが止まり掛けている。湯気が冷めて視界が晴れるように、すーっと重みを無くした空間の中で男のからだに荷物のような体重が沈む。自らの体重を布団のように被っているようにも見える。何かが終わるのか、という予感を縫うように息が縺れる。その刹那に、ほかでもない一点に、ピー、という単音が、空間に差し込まれた注射針から流れ出る薬剤のようにそこに注入され、空間の細胞に染み広がって行く。空間と通底した男の生理のようなものがカンフル剤を打たれたように賦活し、死人の体力のようなもので身を盛り上げて斜め後方へ四つん這いで進み出したからだは初めてそこで具体的な方向を持った。不意にピントがあってそこにある全てのものが具体的になり、そこは高円寺のとある劇場であることが示された。振動していた紐が止まるように輪郭が明確になる。振動していた幅と一本になった輪郭との間に外気が流れ込み、この劇場は確かにそれより外に広がる世界の内の一部分であり、このことが行われている今は時間の過程の中のある時であること、物事が過ぎていく、はかない世界なのだということが絞られる。時間が残されていないかのように、枝分かれ繁茂する音響の中で立ち上がった男の生身は寄り掛かるようにして舞台奥の大扉を押し、レールに沿ってそれがズルズルと動いた。
 震えていたことの余韻で全身が微弱な電気に包まれたようにボーッと痺れたまま、続く第四景及びエンディングは、夢の中に置き去りにされたようにしてただ眺めていた。

 『舞踏よりの召喚ー20世紀、牡丹。』全三日間を通覧して、三回共、作品としての全体の構成は同じだったが、そのことが、体格の違う三人に無理に同じ丈の服を着せているような違和感として感じられる程、各日の踊りの内容は違っていた。初日の舞台を観た時は、全体の構成が、各景「予め測られた公演時間の中に配分して並べられている」ように感じられたことや、舞踏家武内靖彦の従来のイメージに自ら合わせてしまっているように感じられたことに強い不満を覚えた。二日目はしかしその構成演出は同じでありながら、測れないものが測れる枠組みを、イメージ化されない振動がイメージを、食い破ってくるような異様さを持った舞台だった。
 たとえば、本公演が『四十周年記念』だったこと、「舞踏の現状」を憂いながら『舞踏よりの召喚』と銘打つこと、などにどれ程の決意や覚悟といったものがあったのか、ということは知らないし、興味もない。いつだってダンサーの思いというものは、安易な共感や理解を求めにゆくわけではない観客にとってはどうでもいい。逆にいえば、観る側の思いというのもまた、どうでもいい。
 実際、何かわからないが確かに何かであった舞台、というのは、観ると、引き込まれる、巻き込まれて、そこで様々なことを感じ、考えるものだが、その、私が感じたり考えたりすること、それとある意味で関係無く、それより向こうにその舞台があるから、何かであったのではないか、と思う。外側にあるのだ。感じたことすら遅れている。だから、素晴らしいとか良かったとか感動したとかいう言葉すら空々しくなってしまうそういう舞台は、観終わった後でも、どこか私はその舞台に辿り着けていない感がある。という意味では、その舞台は現実的には終わっていても、同時に、終わっていない、もしかするとまだ始まっていない、とも言えるかもしれない。とはいえ、その舞台を観てそれだけ感じたり考えたりするということは、やはり私の何かがそれに出会っている筈だ。それから遅れている私が、近づきたいと思っているのだろう。
 十月八日の舞台の体験は、私にとってはそのように言えるものだった。穴の底にあるものを覗き込むようにして想い返す中で、最も非現実的な照度と、いまだ何かたくらまれているような油断ならない蠢きを感じる。
 『舞踏よりの召喚』は作品としてよく出来たものではなかった。それは「破れ目」のようなものだ。第三景『新しい砂漠』で、武内靖彦はまずからだの置かれる「何も無い」「始まる直前」を、既に始まっており既に在る世界の中に興そうとしたのだ。武内自身の思惑を超えてそのようなところにダンサー武内靖彦のからだが置かれているのだとすれば、第三景は作品全体の中で破れ目であったし、ダンサーのからだは準備されたことの破れ目であったし、二日目は三日間の中の破れ目だったし、ともかく作品を取り巻く色々な「思惑」は破れていた。黙って感嘆するところと、喋れば不満の吹き出すところの両方ある、不慣れな舞台だった。
 公演から既に半年以上経って、想い出そうとすると観た時よりももっと見るみたいに前のめりにならざるをえない本番の記憶の周辺に、自然に思い出されるのは、開演前や終演後に劇場で知人と話したことやその表情、その時の空の感じや空気感などだ。前述した二日目第三景の最後でここの周りに広がった「外」の中にいた時のことで、その延長上に半年後の今の僕もいるし、四十年前の誰かもいる。
 四十年前の初舞台の時、観客は武内靖彦が何者であるか知らなかっただろうし、それが「舞踏」であるのかどうか、ということなど問題にしなかっただろう。四十年後の観客も本当は同じだ。

既知との遭遇者ー武内靖彦の踊りについてー かとうとうや

 パゾリーニ監督がオイディプス神話を題材に撮った映画『アポロンの地獄』のラストシーンで、そうとは知らずに父を殺し母を犯した自身の罪を識ったオイディプスが自ら両目を潰して盲人となりあてもなく荒野に彷徨い出す、そこまでは神話の通りなのだが、そこで一転場面が古代ギリシャから現代のイタリアに移って、近代的な建物が建ち並び舗装された道路を自動車の行き交う現代の街路を彷徨うオイディプスの姿が映し出される。このラストの解釈は色々あるのかもしれないが、極単純に考えれば、「あてもなく彷徨い出したオイディプスは何の解決も得られぬまま数千年の時空を超えて今も彷徨い続けているのです」という話で、だとすればそれはたとえば弘法大師は今も衆生を救うために四国八十八箇所を巡り続けている、という伝説にも通じるものがあり、また、つげ義春の名作『李さん一家』の最後の一齣「実はまだ二階にいるのです」に似たトボケたユーモアすら感じる。
 2015年4月10日にテルプシコールで行われた武内靖彦公演『途中の花』は、事前の稽古に立ち会う機会があり、そこでアドバイスを求められたぼくは、冒頭、どこからやってきたのかわからない男が彷徨う場面で、ゲームセンターのような音を入れてはどうか、と提案した。その時頭にあったのは『アポロンの地獄』のラストシーンのイメージだ。数千年の時を超えて彷徨い続ける正体不明の男が、現代の渋谷辺りに流れ着き今時の日本の若者たちで溢れるゲームセンターに迷い込んでいるような時空錯誤。その案は一景で断続的に差し込まれる電子音として採用された。
 武内靖彦が様々な舞台、様々な場面で踊っても、舞台上にいる男は常に同一人物だ。が、それは「武内靖彦」ではない。誰かではあるのだが、誰であるのかはわからない。彼自身がわからないからだ。一言でいえば、記憶喪失者である。どこかから来たのは確かだが、どこから来たのかはわからない。貴種流離譚の、正体が明かされる前の段階を彷徨い続けているような。武内の舞台がどこかしら神話や悲劇めいた深刻さを帯びているのはそのためだ。もっとも「貴種」であるかどうかはわからないが。
 武内靖彦は大野一雄門下とはいえ、大野の弟子として出発したわけではない。大野の門を叩くより先に独りで初舞台を済ませている。三年ほど属した大野門も舞踏家武内にとってあくまで途上のことだ。それ以前もそれ以後も、アカデミックな舞踊のメソッドを学んだわけでもない。プロフィールには、「土方巽の肉体の叛乱を観て衝撃を受け踊り始める」とあるが、土方に師事したわけでもない。つまり彼は、ある時いきなり踊り始めたのだ。徒手空拳でいきなり踊る、ということを促した最初の他力が土方であったということだ。話を聞けば、大野一雄の稽古でも、踊りの具体的なノウハウを教わるようなことは一切無かったという。ただそこに大野一雄がいる前で何の手掛かりもなく独自で踊ることをひたすら模索させられ続けた。いわば踊ることよりまず踊れないこと、踊れなくともそこにいなければならないこと、を学んだのではないだろうか。こうすれば踊れます、こう踊れば舞踏家になれます、と教えてくれる今の「舞踏」とは対極に立つ舞踏家が武内靖彦である。

 令和元年12月13・14日の2日間にわたって行われた武内靖彦舞踏ソロ『着ラレル 静態系1』(スタジオサイプレス)では武内の「構え」に以前とは微妙な変化が見られた。
 冒頭、いつものように、どこからか舞台に至り着いた男のあてのない歩行から始まる。この「あてのない」は慣用句ではない。三間程度の舞台を横切るのに5分も10分も費やす、「武内靖彦の歩行」と称される程特徴的で時にはマンネリズムと目されることもあるこの歩行の特徴は、目的地を持たない歩行であるということだ。行き先を持たない足を一歩出すごとに結果として前方に向かうが、どこへ向かう先があるわけではなく、ただ足の裏の接するここから又ここへと運ばれる結果として気が付くと何処かにいる。目的地をもたないのは、そもそも自分がどこにいるのか、自分が何者かがわかっていないからだ。それで想い出すのは「わたしはどこから来たのか わたしは何者か わたしはどこに向かっているのか」というゴーギャンの名作にも刻まれた有名なフレーズだが、それは一言でいえば「記憶喪失」ではないのか?それは人類の種全体の命題であると同時に、「自身がこの世に産まれ出たまさにその時のことを決して記憶していない」全ての個人の命題でもある。人間はまず最初に「記憶喪失者」として出発するのだ。いささか大仰に過ぎる物言いに聞こえるかもしれないが、「まず動機があって踊っているのではない。舞台の上で踊りながら動機に辿り着くことを目指すのだ」というのは武内自身の言葉だ。舞台上の武内靖彦は、どこから来たのか、ここがどこなのか、わからない。確かなことは、今「ここ」にいることだ。ここで、歩いているというよりも、茫然と佇んでいる。佇んでいることが、気が付くと星や月が周天している、そのコンパスの足元みたいに移動している。ずっとここにだけいると、ここがここですらなくなってしまうからか。武内靖彦の歩行はそういうものだ。
 ところで、記憶喪失者でも覚えていることは何だろう?自分の名前を忘れていても自転車には乗れたりする不思議。
 『着ラレル』の話に戻ろう。自宅の一部であるスタジオサイプレスは武内にとっては庭だ。その空間の機微を知り尽くしている武内の歩行はあてもないとはいえ、ベテランの漁師が魚を捌く時のような見事な軌跡を描く。地面に隠された脈を辿ることで、床より底に見えない色が潜在していることを浮かび上がらせるような軌跡。要所要所で、中空に、不意に思い出される記憶のように、踏切の音が束の間差し込まれる。その不意に間近に迫ってくる遠い響きの中に、どこかわからないが、自分がどこかにいる、そしてかつてはどこかにいた、ということが告げられている。
 武内の所作の中には時折独特の構えがある。方向転換して新たな方向に向かう時や、踊りを次のテンションに鼓舞しようとする時などに現れるフォトジェニックなその姿は一見恰好をつけているようでもあり、イヤミとまではいわないがやはりナルシシズムの表れのように見えて、またその姿の決まり方が、舞台をビジュアル的に、ようするに「見せて」しまうきらいがあった。ところが今回の舞台では違っていて、その構えの姿かたちは以前と別段変わっていないのだけれど、それがナルシシズムからくる恰好付けではなく、たとえれば暗闇だとか未知の何者かに対した時の動物の防御態勢のように見えた。それだけ、舞台上の彼のいる空間の不透明さが増していたのだ。武内の絵姿ではなく彼を取り巻く空間の不穏さを析出する、何かが現れるかもしれない無音に耳を傾けた時にいつしか身についていた防御姿勢が現れるような構えになっていて、静止画ではなかった。この構えの印象の変化が、今回の舞台での一番のトピックだった。

 2017年5月27・28日に松下正己、玉井康成、日高明人の三人のダンサーを招いて行われたスタジオサイプレス企画『ここも誰かが死んだ場所』2日目、武内はプログラムにはないが、開演前や幕間にスタジオに迷い込んで来た得体の知れない男、という役どころで登場した。まだ開演前の客同士談笑しているなごやかな会場で、不意に提灯を手にして現れたコート姿の不審な男は、自分がどこにいるのか、確かめるように辺りを眺め、次のプログラムで玉井康成と共演する音楽家望月正人によって既に舞台に設置されてあった楽器ディジュリドゥを、怪訝な顔つきで物珍しそうに眺めてからまた会場外へ去っていった。ああ、舞台上の武内靖彦は記憶喪失者なのだ、とはっきり感じたのはその彼の眼差しを見た時だったかもしれない。目にするもの一つ一つが、見覚えがあるのに何だかわからない、あるいは逆に、見覚えがないのに知っているような気がする。記憶喪失者が実家に帰った時のような眼差し。既知の未知性。初めて見る光景の筈なのに見覚えがある、という感覚をデジャヴ(既視感)と言うが、逆にいつも見慣れているものなのにそれが何だか得体の知れないもののように奇異に見えてくることをジャメヴ(未視感)と言う。それで思い出すのが、2011年5月にplanBで田中泯構成演出で行われた武内靖彦公演『舞踏・制度・林檎』だ。その中盤辺りで、舞台上に奥に上がるように造られた斜面の上を、仰向けで背中でズリズリ這い上がる。その場面はまだ、個々の筋肉の動きだとか、視線を引っ掛けてダンサーの輪郭を掴むことができる、つまりそこで行われていることと人物を一応理解していられるところがあったのだが、一番上まで上がり、這っていたのが立ち上がってフッと息を落とした瞬間、そこに誰だかわからない誰かが居た。いや、それが武内靖彦であることは百も承知だ。そのことを忘れているわけではない。にもかかわらず、誰だかわからない何者か。これはわかりにくいイメージでしか言えないが、本体があってその影がある、というのではなく、本体と影が一緒くたになったような、見えているのによく見えない、人の形をしているのにその輪郭が内側に溶けてしまっているかのような何者か。その奇妙な感覚は、数えきれない程武内靖彦の舞台を観てきた中でも特に忘れられない一場面だ。
 もっとも、そこまで印象的なことは稀とはいえ、武内に限らず、いい踊りを観た時には少なからずそのような感覚はあって、いい踊りを踊っている時のダンサーは誰であっても誰と名指せない誰かになっている。

 2011年10月に開催された武内靖彦40周年記念独舞リサイタル『舞踏よりの召喚ー20世紀、牡丹。』(座・高円寺)は四景から成っているが、その第三景(プログラムには記載されていないが武内はその景を「新しい砂漠」と名付けていた)、とくに全三日公演の内の二日目のその景は圧巻だった。座・高円寺のダダッ広い舞台上には下手寄りの床にぽっかりと穴が開いている他に何の装置もない。穴から這い出してきたダンサーの前に広がっているのはまさに砂漠のように手掛かりの無い空間で、音楽も無いのでリズムや旋律に乗って踊ることも出来ない。とりあえず踊りらしく振る舞う為の舞踊の定型も無い。そこで、黒いボロボロのセーターを着た男は、ただ歩き、倒れ、蹲り、何やら、急に手を広げたり、断片的な意味不明な動作が続く。その、脈絡から放逐されたような行為の数々はまるで文章中に間や沈黙を表わす「・・・」が転がり蠢いているようでもあり、人類が絶滅した後に地上に一人取り残された男のサバイバルを眺めているようでもあった。が、その無い無い尽くしの地平の上でも一個の人間の体がそこで生きて動いていることを通して、さっきはそこにいた、さっきはそうした、さっきはそこでこうしていたところから今はここでこうしている、ということを通して、無味乾燥の舞台の上に次第に「昨日」のようなものが点滅しはじめる。たとえば世界が始まってから10分しか経っていない時には10分でも「歴史」かもしれない。しかし一人しかいないところなので、それを「歴史」として合意する何者もおらず、あった筈の歴史は「会話」が始まる頃にはもう見えない。ただそれを知っているからだがその時からあったものとしてそこにある。そういえば、舞台上の武内靖彦の佇まいにはいつも「無言」を感じる。「沈黙」ではなく「無言」。無言と沈黙の違いは何だろうか。辞書上の定義は知らないが、沈黙と違って無言は、言葉に溢れた世界の中で黙っている、何か言い出しそうで言わない、言葉直前の何かが内に蠢ていながら噤んでいる、という、沈黙から言葉への「途上」に立っている状態が無言だろう。武内がしばしば舞台衣装として愛用している、全身をすっぽりと包むコートはその「噤む」ということの象徴だ。が、「新しい砂漠」では逆に言葉のあり得ない世界でコートも着ていない、言葉以前の何かが、まだ形を成していない言葉の胎児が産み落とされてしまったような何かが、つまり生身が、ゴールの見えないところで戦っているような敗残性の閃きがあった。それは、自分が産まれ出た時のことを覚えていない者が、自分より先に既に始まってしまっている世界と立ち向かっている、そして、そのからだにいつの間にか(記憶喪失者でも覚えていることのように)身についているものは、自分より先に始まっている世界の方で形作られているものなので、それはつまりは自分の身をもって自分のからだに立ち向かっていることにもなる。不測の外界と不測のからだがクラインの壺さながら相嵌入している。「測れなさ」を測り続けることで未知と既知がスパークする。だからダンサー武内靖彦は、自分が準備したのでない環境で踊る時の方が輝くのだ。田中泯構成演出による『舞踏・制度・林檎』、ダンス白州での数々の野外での踊り、同じくダンス白州での田中泯や石原淋との共演、シアターイワトでの五井輝とのデュオ、新潟の「大地と水の芸術祭」における原口典之の美術作品とのコラボ等々、ここ十~十五年程の武内の活動の中でも特筆すべき踊りの多くが、彼自身が準備した公演以外のものであるのはその為だ。

 「新しい砂漠」の中で格闘する生身が分泌する汗のような時間は、次第に、世界は10分前に始まったのではない、世界はこの劇場の外にも広がっている、という「外」を反射し始めてこの景はクライシスを迎える。

 再び『着ラレル 静態系1』の話。後半、幕間に助手によって舞台奥に吊り下げられた、壁の大部分を覆う大きな和紙のオブジェの前で、男が坐り込んでいる。大分経って不意に、ノスタルジックな雰囲気を持った歌唱曲『お菓子と娘』が流れ始める。次いでやはり感傷的な雰囲気を持った『アニバーサリーソング』がインストゥルメンタルで2回。舞台中央で、男は音楽の中で最初はじっくりと、次第に激しく痙攣的に動き始め、後ろに吊り下げられた和紙を揺らしたり、初日は確かその和紙と壁の間に潜り込んだりしたのだったか、で舞台はエンディングを迎えるのだが、この場面の具体的なことを実はあまり憶えていない。ただ、初日と二日目でこの場面の印象がまったく違ったことは憶えている。初日は、前半は先に述べたように舞台上の主人公である男が野生動物めいて身構えるような不可知な空間が成立していた中で、後半になって急に今ここの現場から離れた、あらかじめ準備してあったエンディングが取ってつけられたような、空間がそこで全て見渡せるような安全なところに落ち着いてしまった。逆に二日目は、まず前半が初日に比べればたった一日でも幾分手練れていて荒っぽい緊張感はいささか減じていたとはいえ、後半は曲が流れはじめてもそれまでの現場の時空間のテンションが持続していて、取ってつけた感はなかったが、その分そもそもここでこの曲が流れる必要があるのか?という、曲が無理矢理貼り付けられているような場違いな感じがあった。ようするに両日ともこのエンディングに至る場面はうまくいっていたとは言えない。
 じっくりと観客を引き込んでいく、表面張力を零さないように注意深く運んでいくような冒頭があって、次第に飽和状態をギリギリまで高め、クライマックスにそこにプツッと針を刺して決壊に至り、場合によってはその後になにがしか余韻を残すようなエンディングを置く、という構成が、以前の武内の自主公演の一種の定型だった。近年、自身のホームグラウンドであるスタジオサイプレスでのアトリエ公演を重ねる中で、その定型からかなり自由になってきたとはいえ、一つの「作品」として改まって構成を組み立てる時には、今でもしばしば、その通りでなくともその定型の尻尾が顔を出す。これはおそらく、徒手空拳で頼りもなく踊る、ということを続けていく心許なさの中で、それでも自分は何がしかの舞台と呼べるものをやった、という形を付けたい、手応えを得たい、ということの現れなのだと思う。けれどもぼくには、武内がその心許なさの只中で見えない水中を探るように手を濡らして身につけてきた踊りの本領を、武内自身がわかっていないように思えてならない。その構成によって導き出される絵に描いたようなクライマックスだとか、ファンの間で武内節と呼ばれるような絵姿のような恰好良さだとか、テイスティなロマンティシズムや韜晦だとか、そういったことの中に武内靖彦の本領があるのではない。この構成の何よりの欠点は、舞台の行く末を予め一つの方向に用意してしまっていることにある。しかし武内靖彦のからだは基本的に「行方知れず」なのだから。そしてその「行方知れず」のからだはいつだってここにあるその「ここ」が「舞台」なのだ。

「タケ、未知との遭遇じゃなくて、既知との遭遇だよな!」
 丁度巷でスピルバーグの映画『未知との遭遇』が話題になっている頃、土方巽が武内靖彦にそう言ったそうだ。どのような文脈の中でその言葉があったのかは知らないが、その話を聞いた時、ああ、それはまさに武内のダンスの本質を表しているなあと思った。
 自分より先に自分の居る世界はあった。そして自分のからだは自分より先にその世界の方に属している。だから自分と世界との両方にわたるものとして、その境界がからだで在る。記憶喪失者が実家に帰った時のように、見慣れたものの中の未知性、逆に初めて出会うはずのものの中にある懐かしさに出会う。
 それはまだ目覚めて間もない子供の感覚だ。昨日のこれと今日のこれは、同じ物だけど違う物。違う物だけど同じ物。それは日々成長していく自分のからだ自体がまずそのような物だ。既知の中にある未知と未知の中から来る懐かしさ。世界の珍しさ。近年の武内靖彦の踊りの中に、ベテランの熟練と同時に、それ以上に「初々しさ」を感じる人は実は多い筈だ。来年踏業50周年を迎えるキャリアを持って何時よりも初々しくなれる方向性を持っている、ダンサー武内靖彦の凄さはその一点にある。
「動機があって踊るのではない。舞台の上で踊りながら動機に辿り着くこと目指すのだ」だとすれば、ダンサー武内靖彦の踊りが向かう先は、「記憶すらされていない」方向だろう。その頃の武内靖彦(という名前も知らない)のからだは、立っているのだろうか?

ひとのおとせぬあかつきー田辺知美の踊りについてー かとうとうや

(あのお椀は一体何なんだろう?)

 2020年1月12日、成城学園前にある第Q藝術で3日間に渡って行われた企画『身体の知覚』での田辺知美のソロ、冒頭、客席の後ろをグルッと巡って、平台が瓦礫のように積まれた舞台に至る、その間もその後も舞台の間終始その手に持たれていたおそらくは空っぽの朱塗りのお椀、あれは一体何なんだろう?いや、お椀はお椀なのだが、でも、一体何だ?と思いながらずっと観ていて、ある時、ふと、ああ、あれは、「先祖」だ、と同時に、「死児」でもある。どちらであれ、つまりは、「既に(未だ)生きていない命の器(骸)」だと直観した、それはぼくの妄想に過ぎないのだが、そのような妄想の降りてきたわけはある。話はぼくが初めて田辺知美の舞台を観た頃に遡る。

 たとえば隕石はその成分を適切に分析する方法と技術を持っていればそこから様々な宇宙の情報を読み取ることが出来るが、そのようにこちらからアプローチしなければどこにでも転がっているただの石ころの一つに過ぎない。
 以前の田辺知美の踊りもしばしば「ただ寝てるだけ」「全然動かない」などと言われることがあった。以前というのは、ぼくが彼女の踊りを初めて観始めた十七~十八年前のことだ。確かに、その頃の彼女の踊りは「寝ているーモゾモゾしているー立ち上がるー数歩歩く」で、最後になにがしか(たとえば手にしていたザクロを潰すとか)あったりなかったりして、おしまい、という構成が多かったので(勿論そればっかりだったわけではないが)、表現というものを向こうから積極的にアプローチしてくれるものと思っている者からすれば、ほとんど何もしていないかのように見えるだろう。しかし、だからといって、彼女のからだが先の隕石の譬えのように、こちらから積極的に読解を掛けなければ何も表さない「物言わぬかたまり」かと言えば、実はそういうわけでもない。彼女のからだは、物言わぬかもしれないが、鳴る。
 その頃の田辺知美の舞台の印象を思いつくままに並べてみれば、まず、静かである。それは無音ということではなく、深夜の静けさの中でこそ(コトリ・・・)といった微かな物音が響くように、あるいは遠くを走る車の音や冷蔵庫のブーンと鳴る音が届いてくるように、こちらに微細な響きを聴き取るかのような注視を誘う。田辺知美の踊りは視る踊りというよりは、聴く踊りだ。してみると、彼女の踊りは微細なノイズに溢れ、「何もしない」「動かない」どころか、むしろ彼女が舞台上でフィックスしているのを観たことがない。常に「じっと動いている」。時に発酵するように、時に地層の蠢くように。その基盤の上で、うつぶせあるいは仰向けで寝ている彼女の四肢は、不意に眼に見える大きさで動く。それは速い動きであっても緩慢な動きであってもかかわらず「不意」であるそれは、たとえば犬の尻尾がそこだけ別の生き物のように流れと関係無くピョコッと動く時のような、質的な不意感。彼女の動くすべてがしっぽのようで、全身が末端である。その末端の動きから、観客は、その動きを生み出している「元」を探ろうとする関心に導かれる。眠っている人の寝顔の表情の変化からその人が見ている夢を想像するように。彼女の内側に、外にいる我々とは違う時間が流れている何か出来事があって、その反応が末端に現れる時、内側の時間と外側の時間に差があるので「不意」化する。あるいは、定まった中心を持たず蠢くその体躯は、その内側にある見えざる地形を辿っているかのようにも見える。いつしか観客はその内と外の間にある「差」の領域に入り込んでいる。そこに何があるのかというと、何があるということではなく、ただ正体不明の動きの感触のようなものが飛び交っている。奇妙に明るいが、それは照らされた明るさではなく、「暗さ」というものも無いことからくるような明るさで、非現実的な明るさだ。それは夜空の星の無いところの闇を反転させたようでもあり、不意に流星の駆けるように、「外から到来する何か」を待つ場所でもある。その空間が、田辺知美の踊りを呼び込む空間であり、同時に、舞台上の田辺知美と客席の観客の間の空間の抽象でもある。ようするにその空間は「間」なので、彼女の内部にある何かではなく、我々観客のいる外部でもない。待っているように、観客はすでに起こっている踊りを観ているようでもあり、待っていたように、田辺知美は既に踊っているようだ。待っていたから訪れるのではない。不意に訪れているので、まるで待っている、あるいは待っていたかのような状態が充満している。そこで田辺知美は、最も能動的な受動態をしている。先に隕石の譬えを出したのは、そこで彼女はここ(現世)ではないどこかの情報を発しているかのように受け取れるからだ。こちらから伺えない、彼女の内部から通底するどこかの情報の消息が伝わって、時間差を経て彼女の末端の動きに現れている。
 そして舞台の後半で、彼女のからだがある方向性を持って動き出し、ついに立ち上がる、それは目醒めではなく、先の寝顔と夢の譬えでいえば、具体的なイメージを結ぶ以前の夢の成分が、彼女のひとの輪郭いっぱいまで滲み出し、ついに立ち上がる、というように感じられる。

 個別のどの舞台というのではなく、その頃の田辺知美の踊りの印象は全体的に、ぼくの中でそのように記憶されている。寝姿であることと受動態であることから、彼女の踊りはとかく病床やエロティックな場面のイメージで捉えられることがあったが、彼女の踊りの独自性はその構造にあって、寝ているか立っているか、ということに本質があるわけではない。ただ、内部の地形を辿るために、最も接地面の多い体勢が相応しかった、ということが大きいのではないだろうか。
 くどくどしく抽象的なイメージを書き連ねたが、梁塵秘抄の有名な歌、

ほとけはつねにいませども うつつならぬぞあわれなる
  ひとのおとせぬあかつきに ほのかにゆめにみえたもう

が、もっともその時期の田辺知美の踊りを端的に表現しているように思う。この歌を知った時に、ぼくは、あ、これは田辺知美の踊りのことだ、と思った。

 あの時のあの踊り、この時のこの踊り、といった具体的な公演の印象を思い起こせば勿論今書いたことに収まり切らない色々なことがあるのだけれども、「あの時期の田辺知美の踊り」とかなり乱暴に纏めたのは、その後の田辺知美の踊りが、その頃とは変わった印象が強かったからだ。勿論、表現者が長く活動を続けていく内に変化していくのは至極当然のことで、むしろ舞台を観続けるということは、「ひとが変化するのが見たい」という動機でからでもある。あの頃の踊りは良かった、とか、そこに帰れ、などと言うつもりは毛頭無い。変化するのはそれ自体は常に正しいことだし、その結果が観客の一人であるぼくに望ましくない形であれば、黙って観に行くのをやめればいいだけなのだ。つまりはぼくはここ数年の田辺知美の踊りにずっとある不満を持ち続けて来たのだけれど、それでも見続けてきたのは、ある期待がずっとあったからで、その期待というのは、以前のような踊りが見たい、ということではないということだ。
 紆余曲折をあえて端折っていえば、ここ数年の田辺知美の踊りは、先に書いたような重層性が消え、結果として起こる動きではなく、意図的に動こうとしているようにしか動いていない、と見えることだ。なぜそのようになったのか、という事情はある程度推測出来るのだけれど、ともかくも田辺知美は以前の自身の踊りにあるマンネリズムを感じ、それを打破しようと色々試みる必然の成り行きがあったのだろう。その結果の迷走であればそれも必然でよいのだけれど、ただずっと気になっていたのは、彼女のセンスの良さだ。彼女は、センスが良いのである。ただ、それは、例えば障子の破れた所を千代紙で継ぎ当てるといったような、生活のアレンジメントというか、『暮らしの手帖』的なというか、ようするにこの暗鬱な世の中をちょっとした工夫でやり過ごしていくライフスタイルというような、そういったセンスの良さが、彼女の踊りの所作や身ごなしの中に感じられる。それは勿論彼女の中に元々あった要素なのだけれど、そういった保守的なセンスの良さは、踊りのちょっとした味付けには活きても、それが基調になると趣味的な舞台になってしまうのではないか。それで「うまくわたっていく」というような。しかし舞台は世間ではないし、踊りは処世術ではないのだから。
 うまくいかない時の彼女の踊りには、眠りたいのに眠れない、眠れないからジタバタして、ジタバタするから余計眠れなくなる、というようなもどかしさ(待つことが出来なくなっている感じ)があり、それ自体は苦しくともそれは不調の域である意味正直でもあるのだが、それでも、なんとはなしに舞台が形になっているかのように見えてしまう田辺知美の上手さ、センスの良さ、の方が気になって、何故ならば、それは人々に受け入れられ易いものなので、そういう形で「流通する」ダンサーになっていってしまうのではないか、というようなさみしさを感じた。
 土方の『病める舞姫』を題材にした、川口隆夫との共同作品『シック・ダンサー』は何度も観ているが、あの作品でいつもアンビバレントな気分になるのは、川口と田辺というまったく違う文脈と志向性を持っていると同時にそれぞれダンスとダンス以前のパフォーマンス性といったものを自身の表現に相応しく塩梅し独自の舞台を作っている二人の出会いは確実に面白いし、作品そのものは舞踏のステレオタイプのイメージを大胆にぶち壊す方向性を持っていながら、田辺知美の担当する前半パートが、いかにも舞踏のステレオタイプとしての病体のイメージをビジュアル的に演じてしまっていることだ。それが、後半の川口の破天荒さと拮抗するのではなく、やはり保守的な要素になってしまっている。『シック・ダンサー』は、舞踏のステレオタイプとしてのパブリック・イメージを、単に否定するのではなく、自分勝手というか、作品勝手に切り裂いて使ってしまっているところに凝り固まった舞踏を相対化する意義があるのだとしても、前半の絵に描いたような病体は、あまりにもストレートに「舞踏ファン」にとって観易い、受け容れ易いものになってしまっている。もっとも、そのことが作品にとってマイナスになっているところが、あの作品の可能性でもあるのだけれど。
 世間、処世術、ライフスタイルと、大分否定的な物言いをしてきたけれども、ようするに、このところの田辺知美の舞台を観ていると、「死者よりも生者の都合の方が優先」になっているように思えていた。

 ところで、このようにぼくなりに捉えたダンサー田辺知美の軌跡を乱暴を承知で素描してきたのは、そうしないと先日の舞台で田辺知美が紆余曲折の果てに現時点で辿り着いたところが語れないからだ。もっとも、ダンサーの長きにわたる活動を追う時に、そのダンサーの踊りをとらまえる「起点」をどこに置くかというのは、自分がたまたまいつそのダンサーを初めて観たか、ということにも関わっていて、ぼくはたまたま彼女の踊りをこの20年弱しか観ていないけれども、たとえば彼女の初舞台から観ている人はまた違った観点をもっているだろうとは思うが。
 ダンサーの成り行きが一観客である自分にとって望ましいとは思えない方向へ行ったとしたら、黙って観に行くのを止めればいい、にも関わらず、ずっと田辺知美を見続けてきたのは、まだ彼女の踊りがぼくの想定できないどこかに出る可能性がある、ということを期待していたからで、今回の『身体の知覚』での彼女の踊りは、まさにそのような新たな場所に「出た」ように感じられた。

 舞台冒頭、会場外から、客用の入り口を通って入ってきた田辺知美は、観客席の背後をグルッと廻り込むようにして、ゆっくりと舞台に向かう。手には大切そうに朱塗りのお椀を両手で運んでいる。やがて辿り着いた舞台上で、積まれている平台の下で、地面に這いつくばるようにして、その地面との近さ、寝るのでも立っているのでも坐っているのでもない這いつくばった形が、日常生活から外れた「人間」としてまずいるように感じれる。焼け跡で探し物を掘り出そうとしているような姿にも見えるのは、傍らに積まれた平台が、瓦礫と化して屋根の無くした家屋の残骸のようにも見えるからだろう。最初、会場の空調設備が不調で雑音を出しているのか?と勘違いしたくらいの、微かなノイズ音がさりげなく流れている。這いつくばっている彼女のからだ自体は、かつてのような重層体ではない。けれども、具体的な何かに向かっている、それが何かはわからないけれども、自らのフォルムを気にしているのではなく、具体的な何かに向かっているからだは生(ナマ)で、その生々しさの元で床は床以前の地面を思い出し、晒された背中は外気を感じさせるのでその上方には空がある。田辺知美の踊りはぼくが見始めた頃から一貫して部屋の中の踊りという印象があったが、今回の舞台で初めて外へ出た、という印象を持った。あえてイメージでいえば、繰り返しになるけれど、深夜の焼け跡で瓦礫と化した自宅にも戻って来て何かを探している、というような佇まい。いや、そこまでくるともう自宅でも他人の家でも関係ないし、探しているものは今触れている土自体かもしれない(実際にそこに土があったわけではない)。床が地面であること、瓦礫と化した建物が木であること、からだが人体であること。具体物は認識の惰性を超えて具体的になるとほとんど抽象の気を帯びる。その中で、ずっと手にしているあのお椀は一体何なんだろう?と考えた時に、ああ、あれは今「生活」から離れて、それでも今までずっとごはんを食べてきたということそのもの、自分も親もその前もずっと日常の中でごはんを食べて生活してきたということ、つまり自分は先祖から繋がっていた筈だという、繋がって来た営みの器で、しかしそれは空っぽで、既に生きていない命の骸に過ぎなくなってしまったものを手放せないで持ち続けているようだ。外気の中で、自分をくるんでいた家や世間から外れて、彼女は「一人」である。
 平台の上に登って積まれている平台の一枚をズリズリと動かす。物を動かしながら、物を動かすというより、自分のからだを動かすことで結果的に物が動いている。何がしたいのかはわからない。ただ自分のからだを確認しているようにも思える。平台とからだが、一体になるわけではなく束の間連動し、押すことでただ返ってくるものを数えるように。外と内の交錯する境界を整えようとしているように、そこで受動と能動が交錯する。内と外、具体と抽象、受動と能動が交錯する、その摩擦音をピックアップして増幅されたように高まるノイズ音は、具体からはみ出す抽象、現世の背後のこちらへの漏れ出しを表わしているかのようだ。
 そこで彼女は手にしたお椀の中に、親から子、子から孫と繋がれる生の営みが骸と化している空っぽの器の中に、唾液を垂らす。一人今現在に生きている自分の生の雫を注ぐ。唾液はお椀の硬い表面に浸透はせずただそこに溜まるだけだ。銀色に曳く涎の筋が、一筋、二筋、三筋とお椀に落ちる。夜に滴る。

 正直、久しぶりに終わった後しばらく動けないような舞台だった。今まで観て来た田辺知美の踊りが長い紆余曲折を経て不意に一つの場所に出た、という脈絡を感じた。眠れないからジタバタする、ジタバタするから余計眠れない、調子の悪い時の田辺知美はそんな感じだ、と書いたが、今回の田辺知美の踊りは「眠れなくとも夜はある」という踊りだった。蹲った彼女の上空に、星が見えた。

 脈絡があったから、今回の舞台があったのか、今回の舞台が脈絡を引っ張り出したのかは知らない。むしろこれまでつらつら書いてきたような脈絡などはどうでもよく、あの夜の踊りはまさしくあの夜の踊りとしてある、舞台だった。