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空間恐怖4 パンドラの柳行李

 半村良の「妖星伝」がそうだったけど、完結を首長くして待たれるような連載がある。最後の巻が出るのに、どの位の間があったろう、6巻から7巻完結の間13年経っていた。忘れた頃に出版されると、俄に、ズーッと待ってた自分が居た風に時間の回路が色めき立つが、未完で終えるほうが自分の中ではシックリし、納得していたりするもので、「出ちゃったか!」と内容より如何に完結したところで拍子抜けし、出版よりそれを待ってた自分の影が行き惑ったりする。

 今まで舞台の度に作った衣装ってどうなっちゃうの?またしても知恵足らずな仮想がアタマを擡げた。 衣装が棺桶一杯に詰め込まれ、ドレスの裾やらコートの襟がはみ出し、棺桶の蓋が閉り切らずに持ち上る程にも溢れ返ったりしたら縄をかけたりするのかしら、と心配し、葬儀屋は嫌がるだろうなと心配になった。そんな遺言を書き残したら、残された人達は随分と迷惑だろう。
 棺桶の迷妄は柳行李を呼び、竹行李もあった、アッ、茶箱もあった、と芋ずる式に箱が浮び、その挙句シリーズ[パンドラの柳行李]が産声を上げたが、怠惰なのか大切にし過ぎた所為か?誰も知らない自分の中だけで思い出したように細々と持続し転がしてる物件はあるもので、その一つがこの「パンドラ」で、今回それを清算しよう、仕舞っちゃおう、封印しちゃおうといふシリーズ決算セールを企画している訳。
 「終わらせなければ、次が始まらない!」など独り煽り、その實、舞台にどうにか漕ぎ着けようと必死にこじつけ、必然やら根拠やら動機から程遠いが、舞台の立ち上げをヒトに説明するために理屈やら名目を並べたところで「やりたい!」といふ欲望だか衝動の前には無意味!は若造の頃に同じ。結果によって初めて原因に辿り着く転倒が解らされたりする。解らないから進んでいける(この前提は「ヤッてみなくちゃ解らない」で、賭に似ている、否、賭である)のだ。
「神が居るから柏手を打つのではなく、柏手を打つから神が降りて来る」のクチ。
思い出し方を磨かなければ、思い出は腐るものかもしれない。

空間恐怖3 もがく

「できる」「できない!」、「じゃ、ヤッてみろ」「お前がヤッてみろ!」と「縁の下」の闇のなかでツラ付き合わせ怒鳴り合ってる3人ほどのガキがいる。この「縁の下」の高さ20㎝、いや15㎝あるかないかの隙間に外からの陽が斜めに射込んでいる。その隙間をくぐり抜け、向う側へ出られる、出られない?と闇の中で揉めている。子供の体とはいえ、とてもくぐり抜けられそうもない、無理だ。
 子供は自分の「大きさ」を試すように隙間を見つけてはカラダを嵌め込んで得意になったりする。そうした衝動があるから隙間を見つけだすのかもしれない。ピターッと嵌まり込むと、隠れたような、大きさが消えたような、眼を瞑った中に入った気になったりする。隙間でなくても押し入れなど「狭苦しい所」に潜り込むと何故か矢鱈と自由が押し寄せ「狭いから広い」風なじゃれるようなハシャイだ気持ちにとどめようもなく突き上げられ、カラダが笑いこぼれ、転げ回るのは犬に似ている。その名残なのか「狭い所」で踊るのが好きだ。「座頭市」を観た時、座頭市が十数人を相手に6畳程の部屋での斬り合いの殺陣にいたく感嘆した覚えがある、雪隠詰めダンス! その一刃一刃の虚空の描線が無数の裂目を割いてるようにみえた。
 ジャンケンだったのか?如何な成り行きでくぐり抜けのお鉢が自分に回って来たか、今となっては思い出しようもないが、この時、生まれて初めて「死ぬかもしれない」とか「ダメかもしれない」といふ暗澹たる予感が迫って来た事を生々しく覚えている。子供心に「死に物狂い」の事態が出来したのである。
 くぐり抜ける途中の胸のあたりで隙間ピッタリに嵌まり込み、身じろぎ一つできなくなって家全体が身ひとつにのしかかってきたかのような、云いようもナイ不安と焦りはやがて「暗澹たる予感」にドンよりと覆われた。先回りして「縁の下」を抜け、外でコトの成り行きを見守り、出て来るのを待ってるガキ共から「ヤッちゃん!ガンバレ!」の声が掛かる。どのくらいの時間だったろう、エラく孤独な格闘だった。死に物狂いの果て、もがき、のたうち、地面に爪立て、どうにかこうにか腰のあたりまで這い出した時、ホッとしたのか涙が滲み、空に感謝してた。
 合田さんが「カラダが空間の寸を採る」とか、土方さんが「カラダは空間のメートル原器」といふ時、何時も「産道くぐり」のような縁の下の、この一件を憶い出す。あれはメートル原器を鍛える為の得難い体験だったのかもしれない。「動きとは『もがき出る』ものだ」といふ定理もある。

空間恐怖2 衣装の話

なにも好き好んで、そうしてるワケではないし、「勿体ない!」が昂じたワケでもないけれど、何かといふと、事あるごとにあの「コート」には助けられた。今風に云えば私にとってこのコートはハレの舞台の「勝負服」である。ただコトあるごとに引っ張り出され過ぎ、勝負疲れ気味の「勝負服」と謂える。このコートは永い永い日常普段着としての現役生活を終えたけれど、次に舞台衣装としてのステージが用意されたのは退役軍人の戦場復帰に似ている。
 当初、まだテント素材のゴワッと、ザラッとして強張った感触の名残があったけれど時経るにつれ、生地はみるみる色褪せ、痩せ衰え、だが残骸といふほど骨っぽくはなく、搾り滓が陰干しされてるように肺病あがりのコートが衣装箪笥に昏く吊り下げられてる風に眺められた。吊られてるうちはまだいいけれど、その辺に脱ぎ捨てられていようものなら「可哀想!」を通り越し恐かった。衣装は脱ぎ捨てられると「項垂れ」たり「咽び泣いたり」しているのか、脱ぎ捨てられた直後の感染した体温が感情と化し立ちのぼり、無くしたカタチへの嘆き、行き場のなさ加減の嗚咽のように見えてきたりする。
 初めのほうこそ、外からコートを捌き、扱うような手つきや、コートの内での肌触りを吸い上げようと苦心惨憺した挙句、コートはチョッと眼を離した隙にシナーッと絡みつくような、纏いつくような、吸いつくようにしなだれ掛かるが如き馴染みの手管、気がつけば全身コートにまみれ、染められ、籠絡され、果ては「コートに隠れた」とも「コートに逃げ込んだ」とも見えない事もナイような有様にて、風に袖を通すようにコートに着こなされていた。
コートがカラダを「着こなし」、その幽かな乱れや崩れが「身ごなし」になり、見た事もない「コートのヒト」が静かに起き上がる日が来るような気がする。

空間恐怖

泳ぐ悲劇役者(抜粋)/澁澤龍彦 ‥‥大野一雄氏は、その特徴ある身ぶりで、いつも空虚のなかを泳ぎまわる悲劇役者だ。排泄物の洪水のなかで溺れ死んだディヴィーヌのように、大野氏は、ぎっしり詰った空間の虚無を掻き分け掻き分け、あたかも救いを求めるかのように、時にはしげに、時に無心に泳ぎまわる。時に溺れてしまいそうにも見える。‥‥‥

中央線高架下の側道を自転車に乗って中野から高円寺に向かっていた。もう直ぐ環七といふ辺りに差し掛かった時、子犬がヨボヨボ、ヨタヨタと横切った。彷徨ってた!と直ぐ解る、どれ程の時間彷徨っていたのか、その汚れたマルチーズのように見える白い子犬の長い毛はベッタリとカラダに貼り付き、固まりマルチーズの面影はない。逃げ出したのか、ハグれたのか、、捨てられたのか、飼い主らしきヒト影は見当たらない。
 高架下の空間は店舗、駐車場、倉庫などに使われほとんど埋まっているが、たまたま何にも使われてない空きスペースがその白い子犬の行く先に網フェンスで仕切られていた。子犬がその網フェンスの下をくぐって空きスペースの中へ入った時、子犬を追っていたこちらの視野が広がり、微視的に見ていた子犬の焦点が巨視化された。それだけの所為なのか?「歪み」とも「捩れ」とも「ズレ」とも云えそうな奇妙な光景が顕われた。夏のプールで耳に水が入った途端、鼓膜の上にもう一枚膜がはられ、全ての外界の音が断ち切られ、耳の中にピターッと閉込められ高圧の無音がキーン!と耳鳴りし、その「キーン」の渦に飲み込まれ、上から蓋されたような事が「眼」に起きた。子犬を追っていた人間的感情は凍結し、眼の無菌室に監禁され「ホラ、覗いてごらん!」と云われたような感じ。
 コンクリート剥き出しの基礎のままの空きスペースの何にも無いカラッポ。そのカラッポを支え、組成し、犇めいている微粒子でもいるのか、まるで、その微粒子の全てが入って来た子犬めがけて雪崩うち殺到した結果が、子犬になってるような、されてるような、空間が子犬に結晶したような、子犬が空間の正体を暴いたような、カラッポの鋳型が子犬に化けたような、カラッポの中のカラッポ? カラッポの搾り滓? カラッポの芯? 残酷なモノを見た。

備忘の青空5

 ついついモノの弾みで「つづく」と書いちゃったけど、つづかないので困ってる。先行き読めずにその場凌ぎに書いてるから当たり前といえば当たり前。サラサラと、徒然と書けばイイものを頭の中で何か「上手く纏めたい」とか考えてるからなのか、常日頃深く考えるといふ習慣を放棄しているからなのか、無知に加えての怠惰がアカラサマである。
 今まで終わった舞台の後にその舞台のタイトルがポツンとカラダに取り残ったような感じ、気にかかる事はなかった。確かに[途中の花]といふ言葉のセンスは好きだけれど、殊更云う程に頭抜けたセンスとも思えない。それより、こちらの言葉の「掴み」といふか「当り」が変って来たかもしれない、今までコトバでカラダを考えていたのが、少しはカラダがコトバを探るようになってきたのか、カラダ/コトバを往還するような回路。普段なら下らん、陳腐と見過ごしていたような眼がヘンな見詰め方、物珍しがり方、発見!したような塩梅になってきたのか、だったら喜ばしき事。それは他人に貰ったタイトルにせよ、自身が付けたタイトルにせよコトバの側から「眺められ、見返された」ような経験なのかもしれない。例えば何の疑いもなく書いてた「文字」に何故か俄に疑念が生じ「この『字』の元々はこうじゃない!」なんていふ不意の魔がさすような刹那があるけど、アレッてその言葉の表層の、語感の、肌触りの、意味の、底の、奥でジーッと静かにメラッてる種火のようなヤツが吹き上がっちゃったのかな?と、コトバの新鮮を考えてたら考えた事もないヘンチキなところに行着いた。
 「言葉にしたらウソになる」といふのは言葉の限界、本意の届かなさ、歯痒さ、恨みのような諺だけど、逆に「言葉にしなけりゃウソになる」といふアンチテーゼのカラ元気?を仮設すると、その諺とカラ元気を通低する耳鳴りのよな通奏底音がカラダなの?その通奏底音が時として言葉の犇めきを裂いて咲くよな沈黙を「踊る」といふの。

備忘の青空4 武内

 途中の花。巧い!言い得て妙!世阿弥の「花」を十把一絡げ、ワシ掴み!否、[病める舞姫]冒頭「……あれはきっと何かの生まれ変わりの途中の虫であろうな。」か?と思いきや、このお題を呉れた加藤曰く、その数ページ先の「……躓き転ぶ寸前に、あっさり花になってしまうような、…」花だそうな。ともあれ、タイトルでは何時も躓く、ここは一つ祈るが如く、貰い物には福がくる!!ですか。

 と、八月のここサイプレスでの[Studio Cypress 復興記念踏業]と銘打った秘演[Cypress版 途中の花]の為の仮チラシの口上書き?めいたものである。四月のテルプシコールでの公演[途中の花]、この作品名は加藤から貰った。今までの辻褄合わせのような、或は内容とは無関係なただただ思い込みの文学趣味の欠片のような貧相なタイトルにはいささか食傷気味でウンザリしてた。猛省! 
今までがギュッとカチッと角張った礼式のようなタイトル好み、眺めるような字面がいいと天から信じて疑わない、何せかんせ頑な性格、融通が利かない。ヤレ隷書体だ、ソレ旧字体だと舞台ソッチ退けでどうでもイイような事に口やかましく、他人の迷惑顧みない独り狂騒曲が何年続いたろ、解っていても止まらないものである。尤も、そんなこんなが見えない「舞踏」への渇望の触手と云えない事もなかったし、オドリのド素人があらん限りの知恵を絞った挙句の「舞踏」へのアプローチだったか。基本ソフトなしにアプリケーションを弄くろうといふのだから無茶といふしかない。そして目出度く(と云ってイイ)45年目でのお題を頂戴とあいなった。

他人に作品名を託すなど考えてもみない初めての事だったのに、新鮮だった

 ほんの冗談半分で「加藤さー、今度の公演のタイトルをさ、幾つか見つくろって持って来てくれない、昔土方さんが『武、何でもかんでも独りでやるこたーないんだからなっ!』て云ってたし、ほらっ、舞姫だって協業ジャン」とか何とか云ったら、翌々日くらいにノート1頁一杯に百個程のタイトルが盛られて提出されたではないか。この男こんな事ならお茶の子さいさい風なのである。「だって、出すのは僕でもヤルのは武内さんじゃない、選ばれた段階でそれは武内さんのモノですよっ!」と恫喝だか激励が飛ぶ。何だか、その百個のタイトルが無責任にバラまかれたリトマス試験紙みたいに見えて来た。

備忘の青空3 武内

 「解った」は身に付かないが「解らない」は身に残る、カラダに滞留する。常識的に「解った」ほうが「解らない」よりもイイと思われてるのは鋭敏や繊細が鈍感よりも美しく上等と思われてるのに似ている。この鋭敏/繊細の独りよがりには手を焼く、鬱陶しいから相づちうてば直ぐに逆上せあがり、逆上せ上がればコトバが滑り、滑るコトバに歯止めが効かず、反論すれば不貞腐れる。まっ、私の周辺の事ですがねっ。もし、世界が鈍感で満ち溢れたらどうしよう、それはそれで地獄絵でんがな! 結論を急ぐまい、否、急ごう。「これなら俺にもヤレそうだ!」精一杯の虚勢の呟きの動機は「解らない」?その場凌ぎの「解った」で「これなら俺にもヤレそうだ!」じゃ何か限界間近、直ぐに谷底!直ぐ墓穴!が眼に見えるじゃないですか、それに対し「解らない」だけど、だから「これなら俺にもヤレそうだ!」とヤッてみるなら、こちらの方が一縷の望み、一条の光感じません? ここには「解らない」に煽られ、そそのかされ、けしかけられて火照った顔が覗かれる、バカはバカなりにいじらしいじゃーないですか。「解らない」から面白い。まるで人生相談で解答をもらって「解った」けれど、「解決は貴方がするんですよっ!」と肩たたかれてポカーンですか。「解らない」から出発できる。きっと「嗅いだ」、コトバにできない勇気のような、後押しのような、親近と反発がない交ぜになりながらコトバに出来ないぶんリアルが迫り上がるような体験、予兆が走ったか。

 そうそう、土方さんの「ドブ」発言の少し前か、ほぼ同じ時期だったかもしれない「舞踏懺悔録集成」といふ大規模なイベントが開催された。この辺が舞踏が世間認知されるかどうかの関ヶ原だった、1985年かな。86年1月に土方さんは亡くなられてるからここいらは立込んでるし、切迫していたかもしれない。何故「懺悔」なのか、参加した舞踏家諸氏からは「土方さんにとって懺悔かもしれないけれど、俺達はこれからが始まり!」なんて声が挙ってた。「懺悔」が先か、「ドブ」が先かは定かではないが、土方さんの中では面白くない方へ向かいつつあったのは確かだろう。本当に「ドブ」へ捨ててしまったんなら、今はそのドブに「蓋」して、その上で舞踏會してるのかな? ドブさらいするヒトはいないのかしら。何故か急に「単独処女舞踏會」の時に「懺悔の値打ちもない」といふ演歌を使ったのを憶い出した。確か、北原ミレイといったかな。

備忘の青空2 武内

 ウーン!「これなら俺にもヤレそうだ!」気負い、ハッタリ、自惚れ、強がり、大風呂敷に無知、無学、それでも足りそうにないこの度し難き「鈍」はどこから湧いて来たものか? 否、この「鈍」は「鈍」なりに何か嗅ぎつけ探り当てたモノがあるのかしら、聡明な方々には見落とされがちだが「鈍」の眼だけには止まるような何か。1968年10月10日、この年は70年安保へ向かうピーク、この年のピークが10月。大学は荒れに荒れ、新宿なんぞ歩いていると始まる!何か始まる!何があっても可笑しくないといった一触即発ぎみのワクワクする熱気に包まれていた、寺山修司がコンミューン前夜のパリの様相!と云ってたっけ、そんな不穏な空気のど真ん中で日本青年館の土方巽舞踏公演を観た。後々、この事に枝葉が付いて記憶に加工が施される事になるけれど、これだけの背景の中での記憶が捏造、改竄されないワケがない。
 一つだけハッキリ覚えているのは眼前の舞台に展開されている「行為」が、如何なる表現のジャンルになるのか解らず(命名、腑分しえぬ事に遭遇すると混乱する、今なら即、パフォーマンスと片付けられるが)、解らないままに見終えさせられたが、この解らなさには「こりゃ、表現とも違うのか?」と云った、素朴なうっすらと眩しいような「懐疑の芽」が萌す「初めての帰り道」だった。
 今、この「解らない」は解ったのか? 残念ながら「解らない」ままにカラダに押しとどめられている。まっ、「カラダ」抱えて「解った」はネエーだろう。変な言い方になるけれど、47年の歳月を経て「解らない」が熟成し、磨かれ、深化する「息づかい」。その切れ目に咲く花「途中の花」といふ訳、なんか酒の銘柄だね、この酒一度吞んでミー、47年モノ大吟醸。
 47年前に眼前に出来したこの名づけ得ぬモノを名づけ得ぬままに握りしめてるこの愚直!この鈍!「純粋窒息派!」笑いながら土方巽の命名癖の直感は酒の席でそう断じ「舞踏」といふ通り名が正規に商標登録されたかの如くタグ付けされた瞬間「舞踏はドブへ捨てよう!」と吐き捨てるように云った。      つづく