備忘の青空 武内

 誰に脅迫されてる訳でもないのに書かなきゃなど思うのはホームページなど作り、こんなコーナーなどがあり、ある事に脅迫されてるのかしらん? 自分の決めた事に決められる不便!

 うろ覚えなんだけど、確か「ボウキャクトハワスレサルコトナリ、ワスレエズシテ、ボウキャクヲチカウココロノサミシサヨ/忘却とは忘れ去ることなり、忘れ得ずして忘却を誓う心の寂しさよ」と丸暗記されたラジオドラマ「君の名は」の冒頭ナレーションのフレーズだ。昭和20年代のまだ入学前の事、この放送時間に風呂屋は空になったといふ代物。無論、意味抜きの[聴き写され]になっている。数え上げれば切りない事だ「お富さん」の「イキナクロベニ、ミコシノマーツニ……」とか、滝廉太郎かな「荒城の月」の「ハルコウロウノ、ハナノエン……」とか。この[聴き写され]を土方さんは「聞こえたものは、聴きわけていたものであったのか……」と「病める舞姫」文中で軽く流している。後々この[聴き写され]が意味了解された瞬間にコトバは瓦解するけれど、瓦解しなけりゃ「知の産声」が上がらないところが「人間て悲しいね」になる。

 なんで、こんな書き出しになっちゃったんだろう?そうそう、これから書く事のタイトルを僕の稽古ノートの表紙から「備忘の青空」としようと決めた時かな。ああ!このへりくだり方!きっと死ぬまで土方に付きまとわれるんだろうな! イヤ!待てよっ、この「付きまとわれるんだろうな」といふ被害者意識がいかん!ここは一番土方巽のヒソミにならい「ゴドーを待ちながら」を指して先生「待っても来ない神なら首に縄つけてでも引きずり出せ」と仰ってた、同じ綴り方で土方さんをゴドーにし、この幻の縄のリードを締めたり、緩めたりの長さの手応えがコトバの遠近法となるやもしれぬ。