備忘の青空4 武内

 途中の花。巧い!言い得て妙!世阿弥の「花」を十把一絡げ、ワシ掴み!否、[病める舞姫]冒頭「……あれはきっと何かの生まれ変わりの途中の虫であろうな。」か?と思いきや、このお題を呉れた加藤曰く、その数ページ先の「……躓き転ぶ寸前に、あっさり花になってしまうような、…」花だそうな。ともあれ、タイトルでは何時も躓く、ここは一つ祈るが如く、貰い物には福がくる!!ですか。

 と、八月のここサイプレスでの[Studio Cypress 復興記念踏業]と銘打った秘演[Cypress版 途中の花]の為の仮チラシの口上書き?めいたものである。四月のテルプシコールでの公演[途中の花]、この作品名は加藤から貰った。今までの辻褄合わせのような、或は内容とは無関係なただただ思い込みの文学趣味の欠片のような貧相なタイトルにはいささか食傷気味でウンザリしてた。猛省! 
今までがギュッとカチッと角張った礼式のようなタイトル好み、眺めるような字面がいいと天から信じて疑わない、何せかんせ頑な性格、融通が利かない。ヤレ隷書体だ、ソレ旧字体だと舞台ソッチ退けでどうでもイイような事に口やかましく、他人の迷惑顧みない独り狂騒曲が何年続いたろ、解っていても止まらないものである。尤も、そんなこんなが見えない「舞踏」への渇望の触手と云えない事もなかったし、オドリのド素人があらん限りの知恵を絞った挙句の「舞踏」へのアプローチだったか。基本ソフトなしにアプリケーションを弄くろうといふのだから無茶といふしかない。そして目出度く(と云ってイイ)45年目でのお題を頂戴とあいなった。

他人に作品名を託すなど考えてもみない初めての事だったのに、新鮮だった

 ほんの冗談半分で「加藤さー、今度の公演のタイトルをさ、幾つか見つくろって持って来てくれない、昔土方さんが『武、何でもかんでも独りでやるこたーないんだからなっ!』て云ってたし、ほらっ、舞姫だって協業ジャン」とか何とか云ったら、翌々日くらいにノート1頁一杯に百個程のタイトルが盛られて提出されたではないか。この男こんな事ならお茶の子さいさい風なのである。「だって、出すのは僕でもヤルのは武内さんじゃない、選ばれた段階でそれは武内さんのモノですよっ!」と恫喝だか激励が飛ぶ。何だか、その百個のタイトルが無責任にバラまかれたリトマス試験紙みたいに見えて来た。