空間恐怖3 もがく

「できる」「できない!」、「じゃ、ヤッてみろ」「お前がヤッてみろ!」と「縁の下」の闇のなかでツラ付き合わせ怒鳴り合ってる3人ほどのガキがいる。この「縁の下」の高さ20㎝、いや15㎝あるかないかの隙間に外からの陽が斜めに射込んでいる。その隙間をくぐり抜け、向う側へ出られる、出られない?と闇の中で揉めている。子供の体とはいえ、とてもくぐり抜けられそうもない、無理だ。
 子供は自分の「大きさ」を試すように隙間を見つけてはカラダを嵌め込んで得意になったりする。そうした衝動があるから隙間を見つけだすのかもしれない。ピターッと嵌まり込むと、隠れたような、大きさが消えたような、眼を瞑った中に入った気になったりする。隙間でなくても押し入れなど「狭苦しい所」に潜り込むと何故か矢鱈と自由が押し寄せ「狭いから広い」風なじゃれるようなハシャイだ気持ちにとどめようもなく突き上げられ、カラダが笑いこぼれ、転げ回るのは犬に似ている。その名残なのか「狭い所」で踊るのが好きだ。「座頭市」を観た時、座頭市が十数人を相手に6畳程の部屋での斬り合いの殺陣にいたく感嘆した覚えがある、雪隠詰めダンス! その一刃一刃の虚空の描線が無数の裂目を割いてるようにみえた。
 ジャンケンだったのか?如何な成り行きでくぐり抜けのお鉢が自分に回って来たか、今となっては思い出しようもないが、この時、生まれて初めて「死ぬかもしれない」とか「ダメかもしれない」といふ暗澹たる予感が迫って来た事を生々しく覚えている。子供心に「死に物狂い」の事態が出来したのである。
 くぐり抜ける途中の胸のあたりで隙間ピッタリに嵌まり込み、身じろぎ一つできなくなって家全体が身ひとつにのしかかってきたかのような、云いようもナイ不安と焦りはやがて「暗澹たる予感」にドンよりと覆われた。先回りして「縁の下」を抜け、外でコトの成り行きを見守り、出て来るのを待ってるガキ共から「ヤッちゃん!ガンバレ!」の声が掛かる。どのくらいの時間だったろう、エラく孤独な格闘だった。死に物狂いの果て、もがき、のたうち、地面に爪立て、どうにかこうにか腰のあたりまで這い出した時、ホッとしたのか涙が滲み、空に感謝してた。
 合田さんが「カラダが空間の寸を採る」とか、土方さんが「カラダは空間のメートル原器」といふ時、何時も「産道くぐり」のような縁の下の、この一件を憶い出す。あれはメートル原器を鍛える為の得難い体験だったのかもしれない。「動きとは『もがき出る』ものだ」といふ定理もある。