泳ぐ悲劇役者(抜粋)/澁澤龍彦 ‥‥大野一雄氏は、その特徴ある身ぶりで、いつも空虚のなかを泳ぎまわる悲劇役者だ。排泄物の洪水のなかで溺れ死んだディヴィーヌのように、大野氏は、ぎっしり詰った空間の虚無を掻き分け掻き分け、あたかも救いを求めるかのように、時にはしげに、時に無心に泳ぎまわる。時に溺れてしまいそうにも見える。‥‥‥
中央線高架下の側道を自転車に乗って中野から高円寺に向かっていた。もう直ぐ環七といふ辺りに差し掛かった時、子犬がヨボヨボ、ヨタヨタと横切った。彷徨ってた!と直ぐ解る、どれ程の時間彷徨っていたのか、その汚れたマルチーズのように見える白い子犬の長い毛はベッタリとカラダに貼り付き、固まりマルチーズの面影はない。逃げ出したのか、ハグれたのか、、捨てられたのか、飼い主らしきヒト影は見当たらない。
高架下の空間は店舗、駐車場、倉庫などに使われほとんど埋まっているが、たまたま何にも使われてない空きスペースがその白い子犬の行く先に網フェンスで仕切られていた。子犬がその網フェンスの下をくぐって空きスペースの中へ入った時、子犬を追っていたこちらの視野が広がり、微視的に見ていた子犬の焦点が巨視化された。それだけの所為なのか?「歪み」とも「捩れ」とも「ズレ」とも云えそうな奇妙な光景が顕われた。夏のプールで耳に水が入った途端、鼓膜の上にもう一枚膜がはられ、全ての外界の音が断ち切られ、耳の中にピターッと閉込められ高圧の無音がキーン!と耳鳴りし、その「キーン」の渦に飲み込まれ、上から蓋されたような事が「眼」に起きた。子犬を追っていた人間的感情は凍結し、眼の無菌室に監禁され「ホラ、覗いてごらん!」と云われたような感じ。
コンクリート剥き出しの基礎のままの空きスペースの何にも無いカラッポ。そのカラッポを支え、組成し、犇めいている微粒子でもいるのか、まるで、その微粒子の全てが入って来た子犬めがけて雪崩うち殺到した結果が、子犬になってるような、されてるような、空間が子犬に結晶したような、子犬が空間の正体を暴いたような、カラッポの鋳型が子犬に化けたような、カラッポの中のカラッポ? カラッポの搾り滓? カラッポの芯? 残酷なモノを見た。
