備忘の青空2 武内

 ウーン!「これなら俺にもヤレそうだ!」気負い、ハッタリ、自惚れ、強がり、大風呂敷に無知、無学、それでも足りそうにないこの度し難き「鈍」はどこから湧いて来たものか? 否、この「鈍」は「鈍」なりに何か嗅ぎつけ探り当てたモノがあるのかしら、聡明な方々には見落とされがちだが「鈍」の眼だけには止まるような何か。1968年10月10日、この年は70年安保へ向かうピーク、この年のピークが10月。大学は荒れに荒れ、新宿なんぞ歩いていると始まる!何か始まる!何があっても可笑しくないといった一触即発ぎみのワクワクする熱気に包まれていた、寺山修司がコンミューン前夜のパリの様相!と云ってたっけ、そんな不穏な空気のど真ん中で日本青年館の土方巽舞踏公演を観た。後々、この事に枝葉が付いて記憶に加工が施される事になるけれど、これだけの背景の中での記憶が捏造、改竄されないワケがない。
 一つだけハッキリ覚えているのは眼前の舞台に展開されている「行為」が、如何なる表現のジャンルになるのか解らず(命名、腑分しえぬ事に遭遇すると混乱する、今なら即、パフォーマンスと片付けられるが)、解らないままに見終えさせられたが、この解らなさには「こりゃ、表現とも違うのか?」と云った、素朴なうっすらと眩しいような「懐疑の芽」が萌す「初めての帰り道」だった。
 今、この「解らない」は解ったのか? 残念ながら「解らない」ままにカラダに押しとどめられている。まっ、「カラダ」抱えて「解った」はネエーだろう。変な言い方になるけれど、47年の歳月を経て「解らない」が熟成し、磨かれ、深化する「息づかい」。その切れ目に咲く花「途中の花」といふ訳、なんか酒の銘柄だね、この酒一度吞んでミー、47年モノ大吟醸。
 47年前に眼前に出来したこの名づけ得ぬモノを名づけ得ぬままに握りしめてるこの愚直!この鈍!「純粋窒息派!」笑いながら土方巽の命名癖の直感は酒の席でそう断じ「舞踏」といふ通り名が正規に商標登録されたかの如くタグ付けされた瞬間「舞踏はドブへ捨てよう!」と吐き捨てるように云った。      つづく